自己紹介②:中高生編「暗黒期と青春」
近所の中学に進学した私は
人生の暗黒期を迎えていました。
小学生の時に陥った
「本音や弱さを出せない」マインドが加速し
イラつかれないか、嫌われないか…
常に自分の見え方ばかり気になっていました。
と言うのも中学でもまた「優等生キャラ」と「イジメ」を
さらに強烈な形で経験することになったからです。
中学では如実に成績の順位が出るため
「優等生」という見られ方を強く意識するようになり、
自分で自分を縛っていました。
そして大好きだったバスケ部には有名ないじめっ子がいて
みんな続々と陰湿ないじめを受けることに。
7人いた同級生は1 年後には3人に減り
いじめっ子2人と毎日顔を合わせ
神経すり減らしながら練習するのは辛かったなぁ。
チームでもエースポジションだったので続けたかったけれど、
結局耐えきれず、2年の秋退部しました。
この頃は
「自分は誰にも求められない」
「ありのままの自分でいられる場所がない」
「ていうか、ありのままの自分すら分からない」
そんな思いが悶々と巡り、いつもどこか苦しかったです。
最高の親友と、夢との出会い
先生も友達も親も、誰も信頼できず
じんわりとした絶望感と生きていた毎日でしたが
中3の夏になって最高の宝物が2つできました。
1つは、今でも続く大切な親友。
彼女も学校では「優等生」として振る舞うけれど
実はジョークが好きなとっても面白い子で、
毎日私たちにしか分からないツボで
大爆笑しながら帰るのが最高に幸せでした。
彼女にはなんでも話せる
言わなくても通じ合える
私に初めてできた「ほんとうの友達」です。
もう一つは「海外に意識を向けた日本人を育てる」という夢。
祖父の勧めでOISCAというNGOのプログラムに参加し
タイでマングローブの植林活動をしました。
初めての海外だったので色んなことが衝撃だったのですが
とくに印象深かったのは
環境問題に対する日本人の意識の低さを実感したことです。
・現地の人が育てた苗をお膳立てされて植えるだけの作業
・現地の暮らしは見ずに豪華なホテル滞在
・参加者も旅行感覚で環境問題への意識は低い
100人くらいの参加者のうち私含め中学生は3人だけで
あとは高校〜年配の方など"大人"が主だったのですが
彼らの参加の様子が「本気で環境問題の解決を意図している」
とは思えずに、大人がコレって大丈夫か…と焦りました。
(そもそもプログラムの目的が問題へのアプローチじゃなくて
問題の理解や啓発だと思うので、これ位ライトでもいいんだけど
当時は若さゆえ視野が狭かったんですね)
それで「おっしゃ、社会の先生になって
学校教育から日本人の意識変えたろ!」と
自分の中にズドンと大きいミッションが出来上がりました。
子どもと接するのも大好きだし
世の中のことを知る社会科も好きだったし
自分が学校でしんどい思いをたくさんしたからこそ
子どもたちに寄り添う先生になりたかった。
自分の中では「コレしかない」と思える確かな志。
ずっと天職だと思っていました。
この後15年くらい、この情熱で生き続けることになります。
安直っちゃ安直なんだけど
この若さゆえの強い衝撃吸収力って
眩しくて最高だなーと思います。
ついに優等生じゃなくなった!高校時代
そんなこんなで中学最後になって素敵な宝物をもらい
高校時代もそれを支えにやっていきます。
部活は弓道部に入り、そこでもう1人大切な友達ができ
イジメにも遭わずに勉強と部活に邁進する健康的な生活。
自分的なグッジョブポイントとしては
1年4月のHRで代表委員に立候補しなかったこと。
小中と生徒会をやってきたので、
なんとなくここでもやろうかと挙手しかけましたが
「ハイ!」とキラキラ笑顔の別の子が1番のりで
「あ、この子がやった方がいいわ」と素直に諦めました。
おかげで「いい子ちゃん」スイッチが入ることなく
特段プレッシャーを感じることもなく
気楽に高校生活を始められたので
あの子がいてくれて本当に良かったです。
そして2年からはちょっと成績が良い子が集まる
進学クラスに入るのですが
これも自分の荷を下させてくれました。
もともと高校に入った時点で
中学よりも校内偏差値は下がったのですが
進学クラスでは半分より下のグループでした。
人生で初めて「出来ない子」になり、最初は落ち込みましたが
「先生わかりません!」と言える気楽さ。
みんな同じくらいの成績の出来だから
「優等生のゆなちゃん」なんて誰も言わないし
「マジでノー勉!ポテンシャル勝負」と
冗談を言い合ってプレッシャーなく居られることが
めちゃくちゃ嬉しかった。
小中の息苦しさを思えば
高校は本当に楽しかったですね。
もちろん沢山泣いて悩んだけれど
(部活では肩を壊すし友人関係も不得手ではあったし
大学受験も失敗したし,,,etc.)
でも心から笑えた数は100倍くらい違うと思う。
青春の"せ”くらいは感じることができた。
ありのままの自分が何か?という問いは
まだ分からないものの
人からの評価じゃなく「自分が好きなこと」「やりたいこと」
という基準で少しずつ選べるようになり
肩の力が抜けた気がします。
さて、少しずつ記事が明るくなってきました。
感受性が強く、不器用で、頑固で、、
必死にもがきながら自分を理解していった
学生時代て感じですかね。
思いつくままに書いているので
このシリーズのオチが見えませんが
とりあえず次は開花!大学生編!になると思います。