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投げたボールの行方は追わない

〈自己紹介〉
◎静岡在住34歳/ブレスワークガイド 
◎20代は「国際協力」と「教育」分野に邁進
◎31歳”教員のブラック労働”で心身のバランスを崩したことを機に、「生き方変えよう」とインナーワークを学び始める
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続更新チャレンジ→7/27達成!→10/18より再挑戦

instagram / ブレスワークジャパン

先日、友人と
ちょっと胸がザワザワするような
やり取りをした時に

「もうちょっと伝え方に
気を配ってくれたら…」
と思ったことがありました。

気持ちは分かるけど、
言ってることも理解できるけど、
そんな伝え方をされたら
まっすぐ受け取れない、と思ってしまったのです。

自分が伝え方に気を使っているからですね。

自分が細かく気にしてるから
他の人の振る舞いも気になってしまう。




「伝え方がどうして大事なのか」
云々については
もう私が話すまでもなく
そこかしこに情報があるので
ここで言いませんが、

言葉の選び方、
会話の流れ、だけじゃ無くて

表情、
声のトーン、
目線、

もほんと大事ですよね。

繊細な感覚で
人と接する機会が多いからこそ
よく意識しています。



そのとき同時に意識するのは
「投げたボールの行方は追わない」
ということ。


自分が投げたボールが
意図と違うように受け取られる事って
多々ある。
悪意、誤解、曲解、色々。

まだ学生の頃、
若い頃なんかはそのボールを追いかけて
何十kmも走っては疲れていた。

でも、いつしか
追いかけても仕方ないと思うようになった。


自分が100%純粋な愛情で
差し出していると思ったものを
相手もそう受け取るとは限らないし

自分がどう投げるかも自由なように
相手がどう受け取るかも自由だから。

だから
例えば自分が優しさいっぱい
愛情いっぱいのつもりで
ボールを投げたんなら

それはそれで良くて、終わり。


伝え方に気をつけて
想いを乗せて、表現して
自分なりの精一杯を投げたなら

もうそこからは
私がどうこうする範囲じゃない。

相手がそれを
受け取ってくれることを信じつつ
でも、
受け取られないこともOKとしつつ。

自分が投げたボールを
深追いせずに見送るのは
なんだか軽やかで気分がいいです。




諦め、のような
投げやり、のような話が
なんとなく最近続いてますが

軽やかに生きる
自分を濃く生きる
本質的に生きる

ってこんな風に
執着から手放すこと
まずは荷物を減らすことから
やっぱり始まるような気がするんですよね。

身軽になった体で
本当に大切なものだけこだわっていく、
という感じ。
まだまだですが。


先日ザワついた友人にも
「こんな風に思ってるよ」という
ボールを投げて
「受け取ったよ」という
ボールが帰ってきて一休みです。

本当に分かり合えてるかな?
という少しの不安はありつつ、
深追いせず、見守ります。



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