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何にもしなくても、漠然と不安でもいい
〈自己紹介〉
◎静岡在住34歳/ブレスワークガイド
◎20代は「国際協力」と「教育」分野に邁進
◎31歳”教員のブラック労働”で心身のバランスを崩したことを機に、「生き方変えよう」とインナーワークを学び始める
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続更新チャレンジ→7/27達成!→10/18より再挑戦
◎"表面上いい感じ"の奥にあるドロドロを成仏させるnote
instagram / ブレスワークジャパン
今日も引き続き体調不良。
1日中、家で寝て過ごしました。
何か用を片付けるでもなく
ただひたすらに寝て
時間がゆっくりと経っていくのは
なんだか不思議な感じでした。
「何もしない、をする」
まさにそんな1日でした。
「何もしない」ことはどこか不思議で
新鮮な感覚がありつつも、
なぜか少しホッとした感じもありました。
「何もしてない」んだから
何も進んでいないし
何も産んでない。
その事実自体は
「私これでいいのかな」と焦るような
不安の種でもある。
でも一方で
「何もしなくていいんだ」
と受け入れてしまえば、
それはどこまでも続く自由のようで
気楽で心地の良い安心をくれるなぁと。
0であることは自由で
真っ白な未来があって
今の自分の場所(0地点)を
たっぷり味わえるなぁ、とも思ったりした。
そんな事を考えていたら、
7年前のインド旅行を思い出しました。
当時私は27歳になる歳で
とにかく人生に迷っていたのです。
自分には何もないような気がしていたし
どの道を歩いていったらいいか
漠然とした不安でいっぱいでした。
それで何とか休みをとって
3年ぶりに大好きなインドに帰るとき
(世界一周した時の町を再訪)
単純な冒険のワクワクだけじゃなくて
「自分の人生にブレイクスルーが欲しい」
「何か大きな気づきが欲しい」
と強く期待していました。
非日常で何かが起こると思っていたんです。
でも、旅をすすめても
別にブレイクスルーは起きなかった。
で18日目、旅の最終日の朝。
このまま帰ったらダメだと焦って
窓から見える景色を見ながら
ぼーっと時間を過ごします。
自分を見つめてみようと。
![](https://assets.st-note.com/img/1730470711-bflwjZTXUursDL2F6tJS8Mak.jpg?width=1200)
その悪あがきで生まれたのは
「不安でいいんだ」
「不安は真っさらな未来の証」
「未来は見えなくていい」
という自己受容でした。
ネガティブにしか見えなかった不安が
ポジティブに見えるようになりました。
そして自分のことも
前より少し愛おしいと思えるように。
不安ながらもがく自分を
応援したいと思えたんです。
帰国後、
「未知数だけどやってみたい」を選んで
青年海外協力隊に応募することを決めました。
何だか話が途中から
ズレたような気がするけど(笑)
つまり、
何もしないとか
何もない(未経験)ということは
それだけ可能性が広がっていて
自由である、ということだし
不安もその証であるということ。
何かをしない、持っていない
ということは
また違う何かをしていて
何かを持っているということ。
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今日私は1日中
ひたすら寝て過ごした訳だけど
それもまた
いつもとは違う何かが
耕されたんだろうと思います。
そういう事にしましょう。