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22日目:「うちはそういう家だから」で蓄積されたもの

〈自己紹介〉
◎山梨生まれ京都在住33歳
◎ブレスワークガイド
◎「海外に目を向けた日本人を育てたい」の想いで教職や開発コンサル・青年海外協力隊など転々と
◎”ブラック教員”の最中に心身のバランスを崩しインナーワークを学び始める➡︎RYT200取得
◎2022年秋、第一子を自宅出産
◎100日連続投稿
 +30分で書き上げチャレンジ(時間切れで記事が途中で終わる事もあります)


昨日の記事の
続き。


祖父母と食べる夕食時の出来事でいうと、
食事提供の順番のほかに
手伝いの仕方にも不平等を感じた。

末っ子長男の弟は
食事の用意を手伝わなくても
祖父に叱られることはなかったが

私たち四姉妹は
チャキチャキ動いていないと
「お前は家の事を何にもやらないんだな」
「お前と結婚する人は苦労するなあ」
とか何とか祖父に嫌味を言われた。

うちで絶対的な存在である祖父が
気軽に吐くそういう評価の言葉は
「呪い」のように長期間こびりついた。

(私たちが大学などで実家を出ると
 弟も手伝うようになったけれど)



他にも祖母によく教えられた
「車の乗り方」は今思えば異様だった。

家族9人が全員で車2台で出かける時は
1台目に父、2台目に祖父と弟、
という組分けで乗るように言われた。

もし事故に遭っても
どちらかは無事で家が続くようにするため。
無論、女性陣はどの車に乗ろうがどちらでも良い。

この話を祖母は美徳のように
嬉々として話していて、
最初は私も「なるほど!」と感心したが
同時に「命の重さは平等ではない」
という宣告を受けたようで絶望もした。


墓石にも家系図にも
少し時代を上ると女性の名前が無い事は
「まぁ昔だから仕方ないよね」と
悔しいけど受け入れられたが、
祖母に直接「あんたはそういう存在だ」と
言われるのでは全然重さが違った。




まぁ、こんな感じの家。

我が家にとって大事なことは
家が続くことであり、
祖父と父の存在が尊重され
弟がそれを継承すること。

もちろん常に言われる訳ではないし、
父に人並みに反抗したり
弟にもバシバシ喧嘩もするが、
結局オフィシャルな空気になれば
自然に序列を意識する、そういう文化だった。



家族には愛情を注がれて育ててもらったと思うし、
もちろん感謝もしているし、
大好きな大切な家族に違いはないけど、

それでも毎週日曜の食事や
日々の小さなコミュニケーションの積み重ねで

「虐げられ軽んじられたような感覚」
は自分の中で確実に蓄積されていった。

特に私は気が強くてじゃじゃ馬だったし
ボーイッシュな服装が好きだったから、
祖父が求める女性像とはかけ離れていて、
よく叱責や嫌味を頂戴した。

男に生まれたら良かった、と何度も思った。




【追記】
恨みつらみのようになってしまって
読んでいて不快に感じたらすみません。

そういう内容な事は自覚していますが
それをここに書くことが私にとっては
呪いを解く行為な気がするんです。



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