3月14日「太陽がいっぱい」
あたしは人からよく「強いよね」って言われます。
だけど、それは周りの支えがあるから。
あたしは2ヶ月の昏睡から目覚めて、自分の状況を把握していって、一時期やけになってました。
19歳で入院したけど、大学1年(18歳)から付き合っている彼氏さんがいました。
ある程度状態が安定した頃、あたしは自分のスマホを手元に持ってきてもらいました。
そこには、数百件の通知がありました。
心配した友達・知り合い・彼氏さんなど、とても全部読み切れるものではなかったです。
あたしは、正直にいうと、「生きてこの病院から出れない」と思ってたのです。
そして、あたしは友人・恋人関係を断つ決断をして、自分のスマホを解約しました。
現在使っているスマホは、パパ名義です。
あたしにとって彼氏さんは、結婚を意識する存在でした。
彼氏さんは、子供が大好きなんです。
だけど、自分の状況は彼氏さんを不幸にすると思ったんです。
20歳になり、3月14日(ホワイトデー)に、親族ではないけど、何か見慣れた番号から電話が入った。
彼氏さんだった。
彼氏さんは、あたしがちゃんと喋れないことは知ってたけど、「直接言葉で伝えたくて」と、いきなり あたしの新しい番号に電話を掛けてきた。
「返事はしなくていいから、今から言うことを聞いて」と。
この番号を知ってるということは、あたしの両親とも話をしているということ。
あたしの両親の承諾を得た。
彼氏さんの両親の承諾を得た。
病状についても詳しく説明を受け、多くの困難があることを承知した。
その上で、
「2年後の春に僕と結婚して下さい」
「今、返事をしなくていいけど、言ったことは分かった?」と。
あたしは、泣きながら「うん」とだけ答えた。
それから2日間泣き続けた。
あたしは、やっぱり幸せになりたい!
両親に電話したら「自分の好きなようにしなさい」と。
2日後の3月16日の朝、彼氏さんに電話した。
「普通のお嫁さんにはなれないと思うけど、あたしと結婚して下さい」
これを伝えたその日の午後に、あたしの両親・叔父さん、彼氏さんのご両親もやって来られて、病室で婚約しました。
あまりにも早い展開。
これは、あたしの知らない間に、ずっと前から彼氏さんが動いて、全員を説得して、あたしの返事を待つだけの状態にしてくれていたということ。
病室で、叔父さんがポータブル鍵盤で伴奏をしてくれて、彼氏さんが歌を歌ってくれました。
彼氏さんは、ボーカルさんです。
あたしに伝えたい言葉がぎっしり詰まった歌でした。
「徳永英明 - 太陽がいっぱい」
外部リンク:
[徳永英明 - 太陽がいっぱい (Live) - YouTube]
歌詞の「あなた」の部分を「あたしの本名」に代えて歌ってくれました。
その当時、あたしは、勿論ちゃんと歩くことも出来ません。
『転ばないで歩くことだけが偉いわけじゃないさ、そうだろ。仰向けで笑えたらいいね』
この歌詞は、そのままあたしに向けて歌ってくれてる内容です。
これは、当時ツイッターの本垢でツイートしたことのある内容。
(本垢は閉鎖してます)
今、この記事を書く上で、またこの曲を聴き、歌詞を読むと、ボロボロに泣いてしまいます。
20歳でプロポーズしてもらい、2年後の22歳で結婚という目標は達成出来ず、現在も治療優先で結婚に至ってないけど、近い将来夢を叶えたいです。
これが、あたしの治療・リハビリの原動力になってます。