【乳がんAYA世代】グラフィックデザイナーが若年性乳がんになった話
はじめまして、地方でデザイナーをしているYUN(@artwork_yun)と言います。2020年29歳の時に、はじめて乳がん検診のエコーで乳房内に影が見つかり、30歳になった翌月に乳がんステージ0(非浸潤がん)を告知されました。
乳がんAYA世代に起こりうる体験談と乗り越えてきた経験を、これから検診を受けるすべての方へ伝えたい、また同じ病気の方にもエールを贈りたいと思い、記事を書いてみました。
ここでは、ひとつの体験談としてお聞きくだされば幸いです。
人それぞれ病状は違うので、これだけが正解ではありません。ひとりひとりがご自身で調べて納得のいく選択ができればいいなと思っています。
この記事では早期発見から現在までの大まかな流れを書いています。それぞれの過程の詳しい記録は、また別の記事で紹介します。
早期乳がんを発見した乳がん検診(2020年夏)
手術生検までに至るまで
最終診断待ちまでのモチベーション維持方法
はじめての入院、手術〜告知〜手術後(2020年秋-冬)
治療しながら働くこと(2021年冬-2022年現在)
がんになって改めて考えた本当にしたいこと
1)早期乳がんを発見した乳がん検診(2020年夏)
母が40歳の時に乳がん(ステージ3)を患っていたのもあって、私は、27歳の頃から自主的に乳がん検診に行っていました。また、その頃に比較的安めの医療保険にも加入しました。その時から、いつかは私も母みたいになるのだろうな…と思っていましたが、まさかこんなに早くなるとは…!
先生に母が過去に乳がんを患っていたことを話すと、念の為半年に1回、エコー検診をしましょうということになり通い続けています。
母の場合は、片胸をすべて摘出(リンパを含む)、当時の私はまだ学生でしたので、抗がん剤で髪の毛がなくなったり、温泉や銭湯に行けず、つらそうにしていた母を覚えています。今でも母の皮膚には放射線治療の火傷跡が残っています。
2020年の夏、いつも通り半年の乳腺内科へエコー検診に行きました。29歳の私はマンモグラフィーは年齢的に合わず、エコー検診をしていました。エコー検診は痛みも特になく、仰向けになって看護師さんが胸を機械でくるくる〜と当ててくれます。その日も、いつも通りに検診していたのですが、看護師さんが突然、手を止め、医師を呼び、複数人が部屋に入ってきました。さすがに私も驚きました。
その後に診察で医師から、その写真に映ったものがかなり怪しいかたちをしていることを知らされ、数週間後に再検査になりました。
2)手術生検までに至るまで
再検査は2回行われました。
①穿刺吸引細胞診
②針生検(組織診)
どちらも見た目は大きく痛そうに見えますが、個人的には痛くなかったです。
1回目の穿刺吸引細胞診では麻酔はなく、2回目の針生検では局所麻酔がありました。どちらも良性判定が出ましたが、当時の主治医が、写真判定でどうしても怪しいから、ということで、最終判定は手術生検ということになりました。
乳がん治療や各言葉に関しては、乳癌診療ガイドラインを参考にしました。
(この記事では言葉等、間違っていることも考えられます。あくまで参考程度になさってください。)
3)最終診断待ちまでのモチベーション維持方法
2020年の夏に要検査になってから、2020年の冬の手術生検での最終判定まで、とても不安な日々を過ごしました。最終判定が出るまで、家族に心配させないように、手術をしなければならないのようになるまで、母親には伝えれなかったです。そんなときに支えてくれたのは、友人たちとツイッターの方でした。また、2015年〜2016年にNYへ留学していたのもあり、もう一度海外へ出たい、海外で働いてみたい!という夢があり、英語(IELTS)を勉強していたことが不安な中でも乗り切る一つの方法でした。
診断待ち、というのは本当に不安で、結果によっては泣きながら帰ったときもあったし、結果待ちの間は、乳がんのことをインターネットやSNSで調べすぎて、余計に不安になり、治療中にYoutubeで亡くなる方をみてよく泣いていました。でも、そのなかで希望だったことは、なにかを学ぶこと、治療を乗り越えて次のステップへ進むことでした。治療中は、病気のことで頭がいっぱいで勉強に身に入らないことが多くありました。でもたくさんの方に励まされて、2021年の5月にまたIELTSを受験できたことは大きな一歩だったと思います。あのとき、支えてくれた友人、ツイッターの素敵な方達への恩は忘れません。
2つ目の維持方法は、運動をしていることです。走ったりクロスバイクに乗ることが好きで、よく動いていました。手術した病院でも片道10km程だとよく自転車で通っていました。よく、病気してそんなに動いて大丈夫…?と言われましたが人によって症状は違うしむしろ動いたほうがいいとのことで、今でもよく運動しています。運動すると、情報が整理されリフレッシュすることもあるので、おすすめです!
病気になったからといって夢を諦めることはないと思います。生きていることに希望や可能性があり、ひとりひとりの夢や目標は違います。ぜひ、なにか病気以外の楽しいことや夢中になれることもセットに治療に挑んでみてほしいなと思います!(エール)
4)はじめての入院、手術〜告知〜手術後(2020年秋-冬)
健康優良児と呼ばれるほど、元気で健康そうな生活を送っていたので、入院手術は他人事のように思っていました。はじめての入院、どれだけ持っていけばいいのかも検討がつかず、入院数日前に用意しました。
【用意したもの】(覚えている範囲です)
・パジャマ、下着
・洗面道具
・退院したときの着替え
・勉強道具(PC、書籍、スマホ、ケーブル)
・財布
もちろん、メイクやネイルはできず、メイクは特別なものなんだな、とこの時感じました。
PCR検査が済んでから入院はスムーズにいきました。入院当日は体重を測ったり、初めて病院食を食べておいしくて感動したり、大部屋でしたが朝の5時から読書灯をつけて勉強していました。
ちょうどコロナが流行り出した時だったので、まだ大流行していたときよりかは手術がしやすかったと思いますが、面会制限もあり基本的に1人です。これはチャンスだと思って、不安ながら勉強していました。
手術当日は、自分で手術台まで歩いて、光り輝くライトに照らされながら、寝転び、麻酔を打って本当に3秒ほどで寝てしまいました。夢の中は、大好きなエスプレッソを飲んで、気がついたら終わっていました。2〜3時間程度でした。
母が摘出されたものを触って、硬かったらしく、たぶん悪性なんじゃないかな…と言っていましたが、要精密検査で行った2つの検査が良性だったことやその判定から悪性に変わる確率は10%程度とどこかのサイトでみたことから、なんとなく良性の希望を持っていました。手術前の診察でも前がん病変(がんの前段階)または悪性と言われていたことから、希望と不安が入り混じっていました。
5日間入院し退院して、数週間後に手術生検の結果を聞きにいきました。
その日も1人で病院を訪れていた私は、1人でがん告知を聞くになるのですが、診察で先生が深刻な顔で、ご家族は一緒に来られていますか?と言った時点で、これはあかんやつやん!となりました笑
結果はステージ0の乳がんでした、となりその後の治療方針が大まかに説明されます。私の場合、ホルモン療法(タモキシフェン5年)+放射線治療が術後の治療でした。
診察が終わり、真っ先に連絡したのは、アメリカにいる親友でした。再検査のときから家族にも言えず、相談していたのは友人たちです。彼らは、ただ大丈夫と励ますのではなく、私が不安で見失っている時にどうすればいいか、彼らなりに道を示してくれました。
このあと、家族にがんであることを話し、治療が進みます。同時期に父がコロナも患い、大変な2020年の年末になりました。
手術跡の経過やケア方法は別記事で紹介しようと思います。
4)治療しながら働くこと(2020年冬-2022年現在)
30歳で乳がんの診断書を会社に提出するとどんな反応になると思いますか?
そりゃ驚きますよね。私は病気のことを詳しく調べたくて3ヶ月ほど傷病休暇を取ろうとしてました。ですが、手術後、あいさつにいって、開口一番に、長く休むようならこちらとしても考えなければならない、もっと早めに知ってたんじゃないか、と言われました。ただただ、悲しかったです。でも、海外留学や進学のため、貯金がしたく、また今やめると保険の心配もあったので1ヶ月ほど休んでから復帰しました。放射線治療に関しては、平日毎日5週間ありましたが、幸いにも近くに大型の地方病院があり、昼休みに放射線治療に行って、戻って仕事をしていました。放射線治療していましたが、毎日の自転車通勤25kmも行っていました。がんの程度が軽いのもありましたが、毎日よく寝て食べて働いていました。休むのではなく、働いている方が余計なことを考えなくて済むので逆に良かったな〜と思っています。
ですが、先の話で人は病気になると社会的弱者になるのだと思い知らされました。社会は厳しいのです。だから私のようにしなくてもサポートがある環境を探したり、国の制度を利用してほしいと思います。無理をする必要はありません。
特に乳がんAYA世代(15歳〜39歳)は多くの悩みを抱えます。仕事、結婚/恋愛、妊娠/ 子育て…など生活に結びつく部分も多くあり精神、体力的にも疲労します。いまではコミュニティを通じてつながりを持つことも容易になってきました。私の場合、母が経験者でしたので母に相談してほかとはつながりを持つことはしませんでした。他の方と私は病状や状態が違うのと、もともと共感しやすい体質なので落ち込みやすくなるからです。でもコミュニティを必要としている方も多くいらっしゃると思うので、ぜひ勇気をもってつながってみてほしいと思います。
6)がんになって改めて考えた本当にしたいこと
自分ががんになって気付かされたことは、本当にたくさんありました。病気を通じて、たくさんの出会いも経験し自分が本当にしたかったことをあらためて考えさせられました。現在、私はグラフィックデザイナーとして、雑誌の表紙を描いたりデザインさせてもらっています。これも楽しいのですが、私が本当にしたかったこと、それはたくさんのひとと映画や作品を作ることです。また海外で作品に携わってみたい、そのために今までがんばってきたし、これからもがんばっていくと思います。がんは私の経験の通過点にしかならず、でもその通過点が大切なことを教えてくれました。また、この経験から人に対してもっと優しくなれるようにも感じます。この素敵な経験を活かしてこれからも私らしく生きていこうと思います!
・手術跡、放射線治療からの現在の姿(※写真付きのため閲覧注意)
・ホルモン療法について
・手術後の定期検診
・標準治療について〜地方医療について〜
・かかりつけ医や執刀医とのコミュニケーションについて
・医療費、控除について
・遺伝子検査について
これらは別記事でご紹介します!では、また会う日まで!
ー参考
・小児・AYA世代のがん罹患率
・乳癌診療ガイドライン
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