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鬱を乗り越える

こんにちは。noteを連日書いたら案外これは更新イケるかも、なんか調子いいじゃない?という謎のオラオラ精神で自分の中の眠れるヤンキー気質を呼び覚ましています。ちなみに僕はまったくヤンキーではありません。

「noteは勢いで書く」を過去に何度も試していましたが、なんとなくしっくり来ず諦めたりしていました。「勢いで書く方が絶対いいのにな...」なんて思いながらもなぜか一気に書き上げるモードにならずなかなか実感や成果を得られずいました。一気に書き上げるときもありましたが、熟成下書きの量をぜひ見ていただきたい 笑

オラっているマインドのほうが実は自分の本質なんじゃないかと思い始めています。

「オラっている」とは書きましたが、実は僕は昔、「パニック障害」になった過去があります。いきなりそんな過去を書いて読者さんの反応を困らせてしまうかもしれませんが。年齢を経た今となっては「鬱」への対処の仕方や向き合い方など分かったつもりでいます。

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うまく付き合う

結論。「鬱」はありのままの受け入れうまく付き合おうが正解だと思います。鬱にはさまざまパターンがありますのでこの場合正解という言葉は人によって正しくないかもしれませんが、ある意味では間違っていないと思います。

「治す」のではなくあくまで「付き合っていく」というスタンスを取る。長く時間がかかりますが自分を赦す(ゆるす)旅の始まりだと思っています。鬱になって知ったこと気づいたことがたくさんあります。

17年ほど前、僕は20歳のときにパニック障害になりました。高校を卒業してすぐ就職。2年ほど働いていた仕事(和菓子の製造)も辞め傷病手当をもらいながら生活(実家暮らし)をしていました。薬を処方してもらいながら通院していて、パニック発作が治る薬を飲んでいました。

定期的にやってくる不安、胸の圧迫感、呼吸できず死ぬんじゃないかという恐怖。毎日毎日そんな不安に襲われるんです。薬を飲めば一時的には楽になるのですが効き目が切れるとまた不安に襲われる。その繰り返し。

20歳そこそこでとにかく暗くどん底の時代でした。なぜ自分だけ?なぜ苦しい思いをしなければいけないんだろう。と自分を責めるばかりでした。

鬱になって仕事も辞め無職になり実家暮らしで後ろめたい気持ちもありました。「この生活はいつまで続くんだろう...」根が変に真面目なものですので毎日漠然とした焦りや不安を抱えていました。

作曲

無職になったので時間が有り余っていたため当時朝から晩まで作曲していました。中学からギターを始めたのである程度のスキルも身に付いている状態。今までしなかった作曲に挑戦しました。作曲しようというのも思い付きでギターだけで曲を作り始めました。

毎日毎日ギターを弾いて作詞作曲していました。

これがいい感じにハマったのか、作曲をしている時間は焦りや不安、パニック発作に襲われず集中して作業することができていました。自分でもすごく不思議で、これさえしていれば苦しまなくて済むと思い作曲に鬼のようのめり込んでいきました。なにかに熱中して打ち込んでいると苦しさを忘れることができました。

制作期間は忘れてしまいましたが気付けば30曲ほど曲ができていました。MD約2枚分。鬼の集中力と作業量。これこそがのちの音楽制作活動を苦に思わない基盤がこのときできたんだと思います。何も食べず何時間でも作業ができる圧倒的集中型。

散歩

少し話がそれましたがあと散歩ですね。作曲以外まともに体を動かすことをしていなかったのでとにかく外に出ようと。なにか運動しないとと散歩も思い付きで始めました。これもいいまた鬼のような集中力を発揮し、散歩に出かければ2時間から3時間ほど歩いていました。

最初こそ「道の途中で呼吸ができなくなったらどうしよう...」とまたも不安になっていましたが(外出は不安がつきまとう)薬をお守り代わりとして持って歩いていました。

毎日のように散歩をしていて気が付いたことがありました。散歩をしていると体が楽になってくるのがわかりました。呼吸もスムーズにできる。これは散歩ありだなと自分に向いてるかもと思い作曲同様のめり込んでいきました。

数年経ったのちに調べたのですが散歩は有酸素運動のなかでも1番ゆるいスポーツで自律神経が整う効果があると知り納得。散歩でしっかりとその効果を感じていました。実体験を通して腑に落ちました。37歳になった今でも散歩を続けています。

薬を飲むことを疑う

家にこもって作曲をして、外にいかないとと散歩をして、通院しながら薬を飲む日々。月日は流れ「パニック障害」と診断されてから約1年ほどが経っていました。体の調子もだんだん良くなり主治医から薬の量を減らしてもいいかもと言われ朝と夕の2回だけ飲んでいました。

ある時ふと「薬ってこのままずっと飲み続けるのか?」と思いドラッグ漬けと同じじゃないかと怖くなり、ある日を境に薬を飲むことを思い切ってやめてみました。

やはり定期的に襲ってくる呼吸の苦しさ胸の圧迫感。耐えられないほどの怖さがありましたが、長い無職生活をしていると生活の知恵のようなものが身についていました。それは仰向けになるという技。

呼吸

仰向けになると深くスムーズに呼吸できることを発見しました。対処法としてパニック発作に襲われるとまず焦らずゆっくりと仰向けなり、目を閉じて(目は閉じなくてもいいですが、閉じた閉じた方が目から入る情報が遮断され集中力がアップする)呼吸を整える。リズム良く深く長い呼吸ができるようになるタイミングがくるのでそれまで焦らずゆっくりと呼吸を意識する。

この技を身につけてから発作が起こっても落ち着いてやり過ごすことができるようになりました。発作は一時的なものなのである程度時間が経てば自然に治る。処方されていた薬も一切やめてもう病院へ通うこともしなくなりました。

取り戻す

徐々に明るさを取り戻しつつさらに日々は流れ、バイトを2つ掛け持ちしたりバンドに誘われたり僕の新しい生活が始まりました。相変わらず実家に住んでいましたが体の調子も精神も安定していました。完全に治ったわけではなく、たまに動悸や呼吸が浅くなりましたが、僕の体はこんな感じでやってくんだろうな。となんとなく受け入れられるようになっていました。底抜けに明るかった時期でした。

今振り返ると躁鬱状態に入っていたのではないかなと思います 笑

当時某有名カラオケ屋で働いていましたが年齢が近いバイト仲間と働くのは本当に楽しかったです。

家族や周りの理解

今思うと僕は鬱になって本当に良かったなと思います。鬱を通して学んだこと気付いたことも多く、自分と向き合うことができた貴重すぎる時間を体験できたと思います。

「パニック障害」と診断され最初こそなぜ自分が?という絶望的な感情でした。20歳そこそこでいわば社会に出てさぁこれからという社会人人生のスタート直後に失速。ジャンプでいえばまだまだ全然コミックスにもなっていないような。そんな幕開けでした。

初めて耳にする「パニック障害」という病名。10数年前、当時はまだ世間には浸透していなかった病名です。当事者の自分をはじめ家族も兄弟(姉と妹2人)も戸惑っていたと思います。でも病気のことを1番に理解してくれました。友だちも周りの知り合いも僕も病気のことを受け入れてくれました。

デリケートな問題でもあるので周りの理解が1番大切です。以前のように変わりなく接してくれるのが僕にとっては大きな救いになりました。

さらに月日が経ちいつしか鬱を克服しました。克服というと少し表現が違うような気がしますが、ストレス耐性ができ許容量が増えたという表現がしっくりきます。「鬱と付き合う」という考え方に変わってずいぶん楽になりました。

もっと緩く生きてもいいんだと

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最後に

鬱で苦しんでいる方多くおられると思います。長い時間をかけて自分と向き合っていく時間が人にはどうしても必要です。だからどうか自分を責めないで、どうかそのままで。怖いと思いますが少しづつ変化を受け入れて。長いトンネルを抜け出す時が必ず訪れます。あなたなら絶対に大丈夫です。必ずうまくいきます。どうか負けないで。

長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。また更新します。

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いわさじゅん
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