【小説】風信子館の証跡 -3-
第2章「苦戦し始めた存在証明」
積み重ねた努力など、誰の目にも留まらなければ努力に成りえないのだろうか。
それともまだ努力にも達していないという表れなのだろうか。
思う道に辿り着かなかった事を示した前夜は、私達がしてきた努力を努力と履き違えている結論を出しているのだろうか。
個々の存在として認めてもらいたいだけの存在証明に、僅かながらの亀裂が走っている等と誰が教えてくれる……?
本日の入室者を拒む明かりひとつない書斎で、まだ今夜の存在証明を行わない夜が更けきっていない時間に私とフユウは本を読み漁っていた。
まるでこの時間帯の読書は私達にだけ許されているようなほど、光が一切無くとも文字のひとつひとつに目を通せる。
とまあ、実際のところ読書しているのは私だけで、フユウは人間が書き記した情報などに目もくれず本を香りを楽しむアロマと同等の扱いで満喫している様子。
無差別に本を選んではページを風に飛ばされた勢いで捲り、つい先程お気に召した香りを放つ古しき文学作品に顔を埋めていた。
人間が自らの知識と経験、憶測からの個人的見解を形に留めた結晶に目を配らせないフユウを放っておいている私は改めて、昨夜馬服姉弟が言い放った勘違いしている存在についてもう一度調べている。
幽霊。
土地神。
資料が決して多いとは言い難いが、一通し読み終えた私は可能な限り調べ上げて勉強を重ねた上で、それでもやっぱりこの結論に至る。
過去があるから成り立つ個々の存在だ。
記憶も、人間としての生活があった共通点も無い私達が求める個々の存在では無い。
妖怪という端々で見掛けたこっちの存在の方がまだ私達も受け入られるというのに、未知に対してこれだけの本を残す人間の想像力もまた、何か欠けている。
私達の認識をそれらの共通点から突き放し、第三の認識として生み出すにはどう行動したらいいものか……。
作り上げたアイデンティティーを崩す必要があるのか、まだ知れていない秘策があるのか、読書の終盤はそればかりを考えていた。
しかし考えている暇は無い。相変わらず本に顔を埋めて寛ぐフユウから本を取り上げて私は言い放った。
「そろそろ今夜の存在証明に行く時間だよ」
「あっはーい!」
「……あと、本は読む物だから。汚いって」
二度目の返事に一度目の素直さが感じられない返事だったが、聞き流すように私はフユウから取り上げた本を元あった棚に戻しながら、それ以上を言わず扉を開けて書斎を去っていく。
頭を悩ませているのは人間の勘違いだけではないのだ。今夜一番私を悩ませているのは今日の寝不足番。
つまり……存在証明のターゲットが一筋縄にいかない、家政婦長なのだ。
◇◇◇◇
今夜もさながら、時計の秒針の音が鳴り響く真っ暗な閉鎖された廊下に私達2人。風信子館で明日の朝に向けた準備をする使用人達が寝静る前の深夜11時に、存在証明の開始の儀式である私のノックが周りの音を蹴散らして鳴り響く。
馬服姉弟もお休み中とはいえ、この音は届いているのだろうか。と、少し悩みを考え過ぎない程度に意識を反らしつつ、適当な扉を叩いている。
どの扉を叩いて音を鳴らそうが、どうせこの館では音少なき時間であれば起きている人間に届く。昨日のように誘き出す作戦ばかりが存在証明ではない。
難しい相手だからこその気紛れ的な作戦だった。
ここで私が悩むターゲット、この風信子館の家政婦長。唐草寧々について軽く紹介しておこう。
人間には年齢やそれに伴う身体の成長があるが、唐草は馬服姉弟のように未熟さを感じる人間ではない。
私達よりも遥かに経験を積んだ、それこそさっきまで書斎で情報収集に役立った本を書き記せる程に色んな景色を見てきた雰囲気を感じさせる、そんな目をしている。
この館の主の信頼を誰よりも得て、この場に長く居る人間らしさは見た目の貫禄さでも伝わる家政婦長だ。
どうやらその優秀っぷりは今夜の存在証明が昨夜より短期決戦になる事を示すほどである。
「……誰も、姿を見せないな」
そう、私の様子見が早速最悪な方に進むほどに。
ノック音は確かにこの館中に、秒針の音しか耳に届かない廊下から各部屋に、もちろん下の階の部屋まで聞こえれば反対方面の廊下まで届いていた。
1回や2回の音では勘違いするかもしれないが、3回の不自然な故意的に鳴らした音は違和感を感じるはず。
「フユウ!急いでついて来て!!」
「フ・ユ・ウの3回~、ノックちゃんのともだ……うん!」
慌て駆け出す私は、計画を考えさせてくれる時間すらも与えてくれない人間の厄介さを身に染みる焦燥感と共に、馬服姉弟の寝室がある方向とは逆の1階廊下へと向かっていった。
唐草の宿直室は馬服姉弟とは同じ場所ではない為、今いる場所からの移動距離は館内では一番遠い。
焦っていても別の音が鳴り響けば私達の存在証明が破綻しかねないので、些細な音でさえも気を遣いながら走るのは案外辛いものだった。
幸いなのは絨毯が敷き詰められる廊下は足音を気にしないでいられ、目を離すと自由奔放なフユウは浮いて移動するので、扉の音にだけ注意すればいいという事。
私の危惧した状況の光景は、唐草の宿直室がある廊下に辿り着くと一致していた事が判明する。
唐草はノック音が確かに聞こえる場所にいたのに、仕事を逸早く終えたようで宿直室に向かって歩いている場面が目の前に現れていた。
「フユウ!布を見つけて、早くこの窓の外から見える範囲で飛んできて!」
「せっせと、ぷぇぇぇぇん!!」
わけのわからないフユウの返事と雄叫びに反応する余裕は私には無い。
今まさに、就寝につこうとする唐草の姿を引き止めるに私のノック音は適任かもしれないが、法則を無視した闇雲な音はただの好き勝手に暴れる幽霊と同じにされかねない。
準備が整っていない事を承知の上でフユウに行動してもらうほか法則は守れないと思った。
それに、私のノックは1度に3回だけなんだ!間にフユウの行動を挟まない限り、私に定数以下や以上の音はルールに反する!!
あの能天気フユウが最速で布の調達と自らの存在証明が果たせるのかが懸念点であったが、意外にも考えを改めた方がいいかもしれないと思うほどすぐにフユウは白い布をまとって、窓の外に飛んでいく姿を私は目撃した。
「今さっきでもう……?」
キョトンとする私。けれども、しっかりと……それよりも上の言葉が私の脳内にあれば表現を置き換えるほどの速さで、唐草もフユウの布が視界に入る仕事をこなす。
あの子……事前に布の調達場所を考えていたの……!?
な、何はともあれ、唐草は絶対に私達の存在証明を目にした。
はずだが……どうだ!
背中しか映らない私の目でも微かに認識できる唐草の頭が窓の外を見た動作、真夜中に白い飛ぶ物体を見たのだ。それは通常の人間であれば何かしらの反応を見せるのが普通なのに、しかしながら唐草は気にも留めない様子でまた歩き出した。
「う、嘘でしょ人間!?」
思わず何も反応を見せない唐草に私は反応を声に出さずにはいられない。
いよいよ宿直室の扉を開けた唐草を、フユウが戻ってくるまで待っていられない私は滑り込むように宿直室に飛び込む。
何故飛び込んだのか自身が下した判断に理由なんてなく、全くもって分からない行動だった。
きっと焦った私は今夜を諦められなかったんだと思う。
唐草が扉を閉める。後から考えるに完全な誤算。
いくら姿も声も人間に届かない私でも部屋を出たら開く扉だけは人間には届く、何かしらの存在を主張できるものの、積み重ねたノック音との繋がりを証明するには骨が折れる。
しばらくはフユウとも合流出来ない牢獄がここに完成したのだった。
「どうしよ……目の前でノックするべき……?いやでも、それに何のメッセージ性を残すの……?どうやって。どうやって……」
思考を惑わせる焦燥感。私達の今夜の存在証明は思った以上に早く、そして思った以上に何も出来ないまま終わりを告げる終了時間間近。
唐草という人間は不自然を見留めないって知っていたのに……。
認めないんじゃない、見留めないんだ。
滑り込んだ姿勢から立ち上がる事のない私の項垂れた姿は完全敗北の夜を示す。
何度か唐草にも存在証明を行っていたが、今夜ほど折れた感情は初めてだった。
「…………フユウ、ごめん」
昨夜と違い、怒る気持ちすらも湧かない。
「貴方のイタズラかしらね」
「……え?」
瞬間、これまでにないフユウ以外からの声が掛けられた気がした。
それは聞き間違いでも幻聴でもなく、他の誰かが部屋にいたわけでもなく。
少しの間を置いた、私が見上げた視界の前に私を見ているかのように立っている唐草の姿ひとつ。
そう、唐草の口から確かに発せられた言葉だった。
しかし、少し違ったのは私に向けられた言葉ではない事を次の言葉で知る。
「知鶴」
知らない名前が私の耳に届く。
その名前は初めて聞く名前で、私の知る限り館の住人に該当しない名前で、人間等の種族を表す名前でもない名前。
人間と会話出来るはずもないのに私は問う。
「誰……その人……」
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