「感謝と祈り」第795話
🍀《〝小さな恍惚”をいたるところで見出すことができる人は、幸せである》
松尾芭蕉の句に、「山路来て 何やらゆかし すみれ草」というのがあります。
すみれ草は、普段は目にもとめない草だが、それについ見とれてしまう。
このときの芭蕉は、小さな恍惚の状態にあったと言えるでしょう。
こういう「小恍惚」とも言うべきことが起こるときこそ、充実感を最も感じる時間なのではないでしょうか?
小恍惚を人生のいたるところで見出すことができる人は、幸せな人であり、生きがいのある人生を送っているのではないでしょうか?
ある情景に目を奪われるといったことに限らず、本を夢中になって読んだり、音楽を聞いた時の心地よさも、小さな恍惚と言えるでしょう。
ここで注意して欲しいのは、このときの心の状態が「受け身」であるということです。
これは、自分の努力によって獲得したという、能動的、もしくは挑戦的な姿勢から得られるものではないようです。
もちろん能動的に動くことは大事な事ですが、「努力は大事」という思考にはまりこんでしまうと、小さな恍惚を感じられなくなってしまうからです。
しかし、断じて努力=価値ではないはずです。
ここを見誤って、努力しないで得たものには価値がないという迷信に染まってしまうと、小恍惚を見出すことで成長することもできなくなってしまうでしょう。
努力することだけに価値を置くのではなく、小さな事にも喜びを見つける感性を大切にしていきたいですね。
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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