盲目的に生きることの弊害
(2019年11月のメルマガより抜粋)
これまで「食事」についてあまり自分事ではなかった私。
結婚して実家を出た後も、夫婦二人の時はお互い朝早く出て夜遅く帰る生活だったため、食事はカンタンなもの/外食。
子どもが出来て、中国へ駐在してた時は、初心者向けの料理本を片っぱしから書いてある通りに材料集めて作るを(ある意味)機械的にしていました。
それが去年から2世帯生活になり、ようやく日本でも自分自身で料理をする環境になり、何かしら栄養のこと、食のことを知らないとなぁと思ってたところでファスティングに出会い、「しっかり食べない(断食)」だけでなく、「キチンと食べる(食育)」ことも学ぶようになりました。
私の実家では母が添加物や農薬について注意して買物をしていたので、材料は高くても良質なものが多く、おやつもジャンクなものは食べていませんでした。
毎日の食事も手づくり主体のいわゆる「健康的な食事」「バランスの取れた食事」だと思っていたのですが、今、ファスティングを通じて身体のことを学んでいくと、ある意味、盲目だった点にも気付かされます。
例えば、汁物は朝食だけ、玄米は食べたことがない、食後の甘いもの、食べる順番も気にしない、小麦製品の割合が多い、毎日おやつにパンやスイーツ、乳製品も結構な割合・・・。
もちろん、毎日、外食とかコンビニ弁当とかカップ麺ばかりという生活よりはずっと健康的な食生活でしたが、もし今の自分が過去の自分のファスティングカウンセリングをしたら、まずは食生活の改善から提案しそうな感じです^^
何となく盲目的に「これで大丈夫」で過ごしていると、知らず知らずのうちに溜め込んでいるものは多く、その結果、40代頃によく聞く「特に病気というわけではないけど、身体が重い、ダルい、疲れがとれにくい」という症状に悩まされることも少なからずあるんじゃないかなと。
先日、読んだ「食品の裏側」。
その時に感じたのが「わかってるけど、やれてない」「わかっているけど、やってしまう」ことって多い気がするということ。
添加物が身体によくないのは誰しも承知のこと。
そう、わかっているけど「何となく、裏の表示の添加物の項目がカタカナばかりじゃなくて少なめに見えて良さそうだから」「何となく、茶色っぽい商品だからガンガン漂白されてなさそうで自然な感じがするから」「何となく、大手企業がつくってるから安心感があるから」と、この「何となく」で”盲目的”に買い物をしてるってあるんじゃないかなと。
添加物の多い食品に囲まれた日本という国に暮らすことについては、長くなるのでまた次回にしますが、まずはこの「盲目的に過ごす」「何となく過ごす」「流されて過ごす」ということから卒業していきたいと、ここのところ感じます。
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キチンと知って知ったうえで意識的に選択する
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これは「食」のことのみならず、世の中にあふれる情報すべてに言えることかもしれませんね。
死ぬとき後悔しない「最高な人生だった」と言える毎日を今から一緒に創っていきませんか?