人生のロールモデルを探し続けていた

ジェラシーくるみさんの「そろそろいい歳というけれど」という本を読んだ。

わかる。とてもわかる。面白い。共感し、心にしみる。多分、社会的属性が似ているところもあるのか、とても読みやすい。
でも、わからない箇所もある。理由は明白で、私は男で、くるみさんは女性だからだ。

私の頭の中の理想では、性別関係無しに人間の思考は共感できるものがあるはずだと考えている。
なぜか私が関心のあるテーマの本や、気がついたら吸い付けられた本は女性の書いた本が多い。
吸い付けられたのだから、本の書いてあることにみんな共感できるはずだ!と思い読んでみると、イタイ目に遭う。
性別の違いをまざまざと見せつけられるからだ。

やはり女性にしかわからないってことがあるらしい。ジェンダーの壁は乗り越えられると豪語しても、その壁は体格の違いという壁にへばりついてることが多いのだろう。気持ちに共感できる人だっている、という私の考えが浅はかだった。

なぜ私はよく女性の書いたエッセイに惹きつけられるのだろうか?
異性への興味、ではないはずだ。求めているもの、感じるのも共感だからだ。
謎である。
男性は、クォーターライフクライシスを感じないのか?そんなことはないだろう。だが、同じテーマを取り上げた男性の著作は見たことがない(あったら教えてください)。周りの野郎で年齢に焦ってる人はいないのか。そんなことはない。それどころかめちゃくちゃ行動している人もいる。
と思ったが、冷静に考えてみると、男性は全員が全員そうじゃないらしい。結婚や恋愛、転職やキャリアアップなんて真面目に考えたことも無さそうな人もそれなりにいそうだ。
「男はいつでも結婚できる」、これも議論の余地はあるだろうが、確かに明確な時間的制約は少ないものだ。
世間の男性に合わせて生きれば、多少心軽やかに生きられるかもしれない。余計な悩みは消えるかもしれない。しかし、彼らの気持ちはわからない。なぜ私も彼らが違うかも、わからない。人がちがうから、考えも違う。それだけのことだろうか。

「傲慢と善良」という小説を最近読んだ。架という男性と真実という女性の心情が描かれているのだが、読むにつれてイライラするのは架の言動のほうで、真実の心情には共感が湧く(他の女性キャラにはこいつは理解できん、という奴はいたが)。
しかし、いざ現実で私が振る舞ったら、架と同じことを繰り返すんだろうなと鮮明に想像できてきまう。そして女性に「女心がわかってないわね」という一撃を食らうのだ。

結局、現実社会では男としての振る舞いが求められるのだ。だから、ジェラシーくるみさんのアドバイスをそっくりそのまま真似しても、うまくいかない。

だからといって野郎どもとは話が通じない。私はどうすれば?

完全に「ロールモデル欲しい症候群」に陥っているのかもしれない。誰かの人生を真似ればうまくいくという思い込み。あんだけテストで正解を求める勉強はできるいい子ちゃんにはなりたくない、と思っていたのに、まさか人生というものに正解を求めているなんて。

(高度なことを学びすぎたのが原因かもしれない。普通、人生は数式で解けないと思うはずだ。この表現自体比喩で、まさか本気で人生を2次くらいの方程式で解こうと思った人はいないはずだ。
ところが、理系大学では知ってる方も多いかもしれないが、現実の自然現象で解を見つけるために、「唯一解ではなく最適な解」「大域解ではなく局所解(つまり条件付きの解)」といったことを勉強する。

今私がやっていることを振り返ってみる。私はAさんの生き方をモデルにする。Bさんの生き方をモデルにする。それらのグラフに重みをつけて、最も自分の属性にフィットする最適な解を求める……)

そう、方程式の解が最適解にかわってより現実に適用しやすいようになっただけで、人生に正解を求めようとするという愚行には変わりはない。

大分話がそれてしまったが、私は誰かをモデルにする必要はあるのか?という疑問を投げかけたい。

いろいろな人の人生を参考にしながら、「もっと自分の境遇にあった人がいないかな?もっと共感でき、もっと勉強になる人が欲しい!なるべく大人数!」と探し求めるなかなかの傲慢さがわたしにはある。

自分で新しい道を作っていくしかない、というか新しい道をつくるのも良いことかもしれない。今まで、道を作るのは眼中にも無かった。だが、それは意外に怖くない気がしてきた。

自分のために書いておくと、この考えは、上に挙げた本の「ロールモデルいなくない?と憤っていた私たちへ」の章から感じたことだ。くるみさんは女性としてのロールモデルを求めていたようだが、私が求めていたのは自分のこの性格で、自分のこの性別で、……ともっと条件の厳しいロールモデルだった。とてもハッとされられた。

……

まーたやってしまった。
貴重な休みの時間を、何となくの不安から、しょうもないエッセイに飛びついて(くるみさんに大変失礼)、心躍り、揺らぎ、将来の自分が読み返すかもわからないお気持ちを表明する。その時間で趣味の進捗をうめばよかったのに。
でも、それもまた人生だなと思えてきたのは収穫だろうか。


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