DIYその3と最近の心境
カズオ・イシグロ『日の名残り』を読んだ。面白かったので、3日くらいで読んでしまった。感情控えめの、抑えた文体、口調。それが情感を引き立たせ、なんだかとても…興奮した。
ブリテンズ・ゴット・タレントの審査員のアマンダがスーザン・ボイルの歌に対して「I'm so thrilled」といったときの感じ。とてもゾクゾクした。大好きな作品の一つになった。
昨日はDIYをした。箱を二つ作った。
話は遡るが、もともと、子どものために作った小さな椅子があった。気に入った椅子がなく、私が作ったものだ。最初はうちのソファに似合うようにモスグリーンに塗ってあった。その後、子どもがピンクがいいと言ったのでピンクを重ねた。子どもはピンクが好きだった。今も好きなのかな。
その椅子は、離婚後ずっと実家にあり、今回それを父に持ってきてもらった。年末に母と汗をかきかき解体し、今回の箱を作った。椅子を解体した材木だけでは足りなかったので、他にも買い足して高さを出した。
ピンクのペンキは、はがすべくヤスリで削ったけれど、なかなか削れなかった。その上に今回焦げ茶を重ねたので、若干下地にピンクが感じられる。それが寧ろいいかなと思っている。ピンクの椅子は、子どもとの思い出でもあるけど、いつまでも実家に置いておいても誰も使わないし、父にとっては会えない孫をいつも思い出させる存在になると思う。だから、今回解体し、別のものに作り変える選択をしたのは良かったと思っている。形を変えても、思い出は生き続けるし、ピンクは消えなかった。ピンク強し。
年末から、少しずつ部屋を片付けている。DIYでごくごくシンプルなものは作れることが分かってきた。車はないけど、家の近所にホームセンターがあり、作業場を貸してもらえるので、DIYの環境に恵まれている。DIYができるとサイズ的に好きにできるので、いろいろ悩みながらネットを探すより良い。なにより愛着が湧く。それに、いずれ解体して作り変える・他に活かすこともできる。私にはとても合理的に思える。
年末から、部屋を使いやすくし、見た目もよくするために色々検討していた。昨日のDIYの箱でだいたい片付いたところ。実は無印でシーリングライトも購入した。今のは亡くなった祖母のアパートの一室に暮らしていた人(私は知らない人)のお古をとりあえずもらって付けたものなので、全然気に入っていない。届いたら取り替える予定である。
順番は前後するけれど、以下は年末にメモしていた日記。
=========
夜、また少し掃除をした。また少しきれいになった。この前布団の中でDIY計画を練っていて、白いテレビ台(元夫の一人暮らし時代のもの。ニトリの。)の中に収まる箱をいくつか作ろうと思っていた。サイズを測り、設計図を書いて検討していた。しかし、横板を取っ払ったところ、手持ちのいろいろな箱が入ることが分かった。ブリキの缶、アルミの缶、無印のポリのカゴなど素材は色々だけど、色はシルバーと白で案外統一感があるとも言える。とりあえず収まったので良いことにした。箱を移したことでまたスチールラックのスペースが空いた。
外した横板を置いた上にガラムカーリーの布をかけ、色々な物を飾った。
飾り物。実はおみやげの縫いぐるみや小さな置物、作った陶器の動物などが沢山あり、多すぎて片付けるスペースもなく、全てを棚に出しているのが気になっている。いろんなものを飾ってるので色合いも不揃いだし、ごちゃごちゃしすぎていると思っている。飾りを適宜しまうために、やっぱり無印の引き出しを買おうかなと思い無印のサイトを見ていた。無論買えなくはないけど、高いんだよな。や、でも作ることを考えると意外と安いんだとこの前思ったばっかり。(作っても値段だけ見ると安くない。)メルカリで中古をと思ったけど、でもボーナス出たしな。うん、やっぱり買おう。送料もったいないから土曜に店舗に買いに行こう。そうしよう。
※結局買わなかった。祖母の遺品の裁縫箱がもらえたので、引き出しとして使っている。
子どもに作った椅子が実家に転がってるの知ってるんだよな‥。持ってきて塗り直し、また使おうかな。(今は子供が好きと言ったから緑からピンクに塗りかえてあるんだけど、一旦塗料をはがして、ライトグレーに塗ろうかなと思ってる。)観葉植物置いたりできるかも。観葉植物ないけど。今度父が来るから、持ってきてもらおう。
もっと小さい時にお寺のワークショップで作ったもっと小さい椅子もあるはずなんだけどな…。まだあるのかな。そっちのほうがずっとキレイに作ってあるんだけど。とにかく両方持ってきてもらおうか。もうメッチャクチャな出来で、何ともならなければ捨てればいいし、そこまででなければ押し入れもキレイにしたから入るし、救出しなくちゃ。心境としては、自分の作った思い出の物をリサイクルしたくなってる。子どもも大きくなっているのだから、子どもの小さい時のままじゃなくて、アップサイクルでまた使うって良いことじゃないかと思っている。
※お寺で作った方の椅子は記憶通り、大変良くできていて、綺麗だった。確か組み立てるだけで、あとは事前に木工職人さんが加工してくれてたんじゃなかったかな。解体したらとてももったいないと思ったので、そのままこちらの家で使うことにした。
ネトフリの番組、クイア・アイで学んだこと。過去を引きずる人は多い。そういう人は過去を引きずっていることが部屋に表れている。ちなみに私の実家がそのようだった。私がまだ無事に元気に子育てしていた頃のまま。その証拠に子どもの小さいときのおもちゃや椅子がそのままになっていた。
※子育て、上手にできなくてごめんねという気持ち。病気になって、子どもと離れなくてはいけなくなって、父や母は孫に出会えなくなってしまった。今後また会える日が来るのだろうか。そう思いたい。
過去を引きずるのではなく、尊重することで、また前に進める。すべての物を取っておかなくても良い。過去の良い要素を残し、写真をきれいに飾り直す。フォトアルバムを改めて作成し、いつでも見られるところに配置する。
※アルバムづくり。これも年始にできた。良かった。
今住んでいる人が住みよいように、前向きに生きられるように家を現代的に構成し直す。クィア・アイを観ていると、そういうことが住む人の精神的にとても大事なことなのだと分かる。
大学生の時に観た『キルトに綴る愛』という映画でも、過去の洋服をいったん裁断して、パッチワークにするアメリカンキルトの伝統を見た。祖母もよく端切れでパッチワークをしていたから、私にはしっくりくるものがあった。『冷静と情熱のあいだ』と言う映画・小説でも、芸術作品の修復をテーマに、過去を修復していく2人の様子が描かれていたと記憶。
==============
過去をひきずるのではなく少しずつ、大切に、パッチワークのようにリメイクしていけたら、そして前を向いていけたらと思う。そんなことを考えていた。まだ書きたいことがあるけれど、今日はこのへんで。少しずつゆっくりペースで進めよう。
おまけ↓