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もらった洋梨の絵を描いていた・母のこと

昨日、友人から洋梨をもらったので、
洋梨模様の背景を恐山に合わせてみた。
洋梨をきれいに並べる方法を調べればよかったのだけど、
適当になっちゃった。まあ、どうどう。

今日はコピペの方法を学んだ。
レイヤーに別の絵から持ってきたレイヤーを加えることも。(コピペするだけだった)レイヤーの統合も覚えた。
あと、選択して反転させるって意味もわかった気がする。

笑う恐山

一昨日は華金だったのに、いろいろと仕事のしわ寄せが来て、1時間残業。疲れた。久しぶりの残業だった。

昨日は叔母と動物園でピクミンブルームというアプリゲームをした。1年くらい続けている。遊び方は適当にはなってきてるけど、歩くのが楽しいのはピクミンのおかげだ。植物園でお花の写真を撮るのを楽しみにしていたけど、お花はあまり咲いてなく、代わりに少し紅葉が見られた。

この年で母親の話をするのもなんだけど、一緒に住んでいる母親について思うことを聞いてもらい、なんだかすっきりした。叔母は母の妹なので理解が深い。

母のこと

「回数を重ねること。」それが母の唯一無二の愛情表現なのだと思う。
母が私は一人暮らしをしたいにもかかわらず、平日は毎日私の家にいて家事を全てこなしている。もちろん、もちろん、もちろん(もちろん×無限)感謝している。でも私は一人暮らしが好きなのだ。

そして、私は、愛情は回数ではなくて密度!って思っているところがある。私が辛い時や、ナーバスになっていて話を聞いて欲しい時(調停の帰りとか)何もフォローしてくれない・何も聞いてくれない。
回数だけ重ねて「愛情」を示している母親を不器用な人なんだな・・・と思う。私にとって母親はずっと一緒にいる隣人のような存在である。悲しい。

実は、初めて統合失調感情障害を発症した時、母親を「知らない男の人(おじさん)」だという妄想をした。そのことが、私にとっての母が「母親ではない、どこかの知らない人が、なぜか私とずっと一緒にいて、私に興味を持っている」というものだという証明なのではないかと思っている。
年数を重ねただけで、心を通じ合わせたことがない。それが母だ。

この三十うん年間、ずっとそうだった。母親は私から離れないことそれだけが「愛情表現」だった。一方で辛い時に助けてくれたことは正直、一度もないと記憶している。大学生の時初めて精神がやられていた時も、2度目の発症の時(離婚に至る期間)も、悲しいことに、支えになったと感じたことはなかった。

感受性の強さや感情表現の有無が私とは全然違うなと感じる。私は感受性が強く、どちらかと言うと繊細なタイプだし、感情を表現するタイプである。
母親から感じる感情ってほとんどないんだけど、その中でも「怒り」が一番強くて(愚痴が多い)、他の「悲しみ」とか「喜び」、「楽しみ」みたいな感情が現れることはほぼない。感受性はあまり「無く」て、きっと共働きで育休も取れない時代に忙しく育児・家事・仕事をしているうちに、感受性を殺してしまったのかもね、とは叔母の弁。

そんな話を叔母とはできて、嬉しかった。すっきりしたかも。
叔母からは小さい時から可愛がられていたのもあって、「私の娘(なのかなと思うほど、母親に似てなくて、叔母に似ている)だって言われてたよ」と言われ、複雑ではあったけど、納得してしまった。
私は祖母にとても懐いていたし(いわゆるおばあちゃん子)、叔母にも懐いていて、母には懐いていなかった。また、いまだに元義理の母のことを思い出すけど、なんか私の母よりずっと母っぽかった。世の中のお母さんてこうなんだ!と驚いた。
息子が生まれてまもない時、里帰りしていたとき、私の息子のことを「○○ちゃんは他の家の子だから」と言われたことは一生忘れない。その後ショックで泣いていた私に「・・・泣いてる?なんで泣いてる?」って言ったことも。

なんかぐちゃっとした、悲しい気持ちで、明日から仕事だし心には雨雲が広がり出した。少し泣きそう。
noteでは本音で話したいと思っているので、乱文お許しを。
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