
「瞬間的に良い人にならない」
2018-05-08
最近読んだ本に、「瞬間的に良い人にならない」について納得する話があったので備忘録。
過去にこのような記事を書きました。
とくに新人なんて当然目の前にある「自分のこと」しか見えていないわけなので
周りを見せてあげるのが先輩・上司であるあなたの役割です。
それを無視して変な辞め方をしたのは、今まであなたがめんどくさくて指導をサボってきたか、嫌われたくなくて「話を聞いてあげる良い先輩」っていう良い顔をしつづけた結果だと思います。
マネジメントなんて基本片思いの連続で、手ひどい裏切られ方をすることもあります。その分、後輩・部下が成長して同じ目線で話せることが嬉しいわけで。
ただ、「瞬間的に良い人になる」スタンスだと結局後輩・部下の考え方が育たないので、いつまでたっても報われないですよ。
(以下、まとめ)
通常「よい人間関係」とは、を考えると
気が合うこと
話が盛り上がること
お互いを尊重できること
などの特徴が上がってくるが、そんなものはよい人間関係とはいえない。
「気が合う」や「お互いを尊重できる」は、本当に苦しい状況に追い込まれたときには簡単に壊れる。
多くの人が「気が合う」と感じているのは、実際は衝突がないだけ。
よい人間関係というのは衝突の上に築かれるものであって、和やかさの上には築かれない。
なにか課題があって、しかもチームの雰囲気が悪い。
原因は皆が「言いたいことがあるのに、黙っている」状態だったこと。
何故直接言わないか。→「人間関係を壊したくない」
人間関係を壊したくないと思う心が、人間関係を更に悪化させていた。
嫌われまい、嫌われまいと思うと、気に入られようとしてかえって卑屈になってしまう。
よい人間関係を生もう、いい友達でいようと思うと、ビビってしまい、かえって心を開くことが出来ない。
「よい人間関係」は「衝突があること」が必須の条件。
人間同士はもともと衝突するもの、と考え、相手の話を聞いて理解しようとする姿勢が大事。
-----ここまで-----
こちらの本に書いてあります。
チーム内でトラブルが起きたときに「よく飲みに行ったりする良いチームだったのに」とか
「あいつは**と仲良いと思ってたのにこんな酷いことするんだ」とか思ってたんですが、
それってただの友達(もしくはそれよりも薄いもの)であって、
決して「よい人間関係」ではなかったのではないか、と気づきました。
入社1,2年目の頃、周りの人がどんどん辞めていってしまうことが嫌で、
気づいたら「私はいつやめようかな」という思考に陥っていました。
その思考って、私が「ただ話を聞いてあげるだけの人」で、相手になにもプラスの影響を与えることが出来なかったという事実をまったくもってスルーしてるなと。嫌われたくないから、言うべきことを言わず、変な辞め方した同僚があとから連絡してきても「おまえ謝れよ」と怒ったりもしなかった。
本当に良い仕事をしようと思ったらある程度の衝突はあるし、
仕事上の衝突を人間としての好き嫌いに置き換えるのはちがう。
これは、本当は大学生の時点ですでにわかっていたことなんですよね。
(寮生なんかめちゃくちゃ議論するし、喧嘩もするし、口も悪いけど会議終わったらしれっとそのまま焼き肉食べに行ったりしてたなと。)
社会人になるとこういうことをどんどん忘れて、「わかってくれない(察してくれない)」「@@してくれない」とかいう小さい発想になってしまうのはなんでだろう…
自分たちで作って運営していく組織・チームというより、学校とかみたいに出来上がった組織にお邪魔しているみたいな感じになっちゃうんですかね。もっと自分の考えを言葉で残しておくべきだった…
音声入力を覚え、あんなにたくさん書くことがあった4月を終えて、
なんだか言葉が出てこないな…ブログに書くことないな(すっかり習慣になったのに)…
って思ってましたが単純にインプットが足りないだけですね。
本を読んだり人と話したりしたらたくさん頭使うし、いろいろ出てきました。