俺流しか教えられない なんちゃって先輩、なんちゃって上司
2021-04-30
マネージャーに期待されている役割は教祖じゃなくて宣教師という話をします。
うちは新卒採用に力を入れていて、毎年たくさんの新卒が入ってくる。
したがって殆どの部署で多くの社員が、自動的に「先輩」になってしまう。
そんな「先輩」たちの話を聞いていて、最近ずっとモヤモヤしていることがあって、これかな?と思う答えがあったので備忘録。
他部署の後輩氏、スピード出世したタイプ。夕礼での共有。
みたいな感じ(ニュアンス)
思ったのは、勝手に立場は先輩になるけど、中身まで先輩にはならないということ。
今まで自分が感じていた違和感は
「後輩としての役割を全うしていないのに、立場が先輩になってしまっただけの人の話」だったからか!!!
「やったほうがいいよ」と言われていることをやったわけでも、できるようになったわけでも、やらなくていいくらいのレベルになったわけでもなく、ただ下が入ってきたから「もうやらなくていい」と勝手に判断してやらなくなってしまったり。
わかりやすいので言うと挨拶賞とかね。
内定者のうちは賞取るために狙ったり一生懸命になっていたのに、一度賞が取れたら、もしくは内定者じゃなくなったら、いつの間にかまともに挨拶もできなくなったりとかね。
社内でもトップクラスの人たちは自分の立場が部長だろうと役員だろうと大きな声で挨拶をする、みたいな基本的なことを勝手にやめたりしない。
でも「これは”後輩”が狙う賞」と思ってやらなくなったり。
そういう人が「後輩教育」とか「カワイイ後輩」みたいなのを語ってるときに感じる違和感だった。
業務上教えられる作業はあるかもしれないけど、少なくとも後輩に「挨拶賞狙いなよ」って促すことはできないよね。自分が取ったこともなければ、できてもいないから。
これが”自分以下の子しか育たない”の正体だった。
内容はロープレしなよ、でも挨拶しなよ、でも先輩とランチ行きなよ、でもなんでもいい。
でも「やったほうがいいってわかっているけどできない(やってない)こと」がある人はその時点で後輩に教えられることが一つ少なくて、その後輩ができることの上限が一つ下がってくる。
【業務で成果を出せていればそれだけでいい】のはある程度までのラインでそれより先は成果だけでは行けないラインが必ずある。
(成果が出ていることは前提だけどね)
なんなら成果が出てないときに周りに助けてもらえるかどうか・応援してもらえるかどうかは
こういう「やったほうがいいと言われていること」ができているかどうかが結構大きかったりする。
「後輩としての役割を全うしていないのに先輩になってしまった人」の語る仕事論はあくまでも「俺の話」であって、「会社の話」ではない。
変な喩えだけど、会社という団体がAとういう宗教を広めるために宣教師として任命したマネージャーが
聖書もまともに覚えてないし、教えを実行もしてないとなると、その人が話していることは、俺流であり「新しい宗教B」なんだよな。
となると最大限のヘッジをしないと、コアに近いところにおいておくのはなかなか難しい。
当然新しい宗教Bを気に入って信仰している後輩もいるでしょう。
実際にこのタイプのリーダーはニッチだけど一定の人望があって人気がある。
とはいえ、永遠にその新・B教祖様が”後輩”の面倒見れるならいいけど、
Aという宗教を一切インストールしていない状態で俺流のBだけゴリゴリ教え込んでも、部署が変わったり手元を離れた途端にその子はなんか楽しくなくなるし、
”ビジョンマッチしていない扱いにくい子”となり、なんなら本人も、その段階になるまで自分がビジョンに沿って動いていないことに気づいてなかったり。
賢い子はB教祖様とは別にAという宗教(会社のビジョン)を教わる人や場を持っているのでなんやかんやうまくやると思うけど、
B教祖様自身は会社の宗教Aの中で俺の宗教Bを信じているわけなので、なんだか息苦しくなっちゃったりね。
この人は「自分のビジョン」を持っていてかっこいいなあ
とか思うかもしれないけど
自分のビジョン”しか”持っていない場合、
ただ無条件でついていっていいのか?というのは考えないといけない。
結果の出し方や良いところはうまいこと盗んで
それとは別に「やったほうがいい」や、取り組む姿勢はきちんと実行する強さがないと
突然はしごを外されてしまう日だって来るかもしれない。
なんか昔読んだこれを思い出した。