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ともす横丁 Vol.6 竹生先生のこと

中学三年生の時、担任くださった竹生先生。学生時代、豊川海軍工廠で働いていて九死に一生を得た体験をした方。社会科担当なのに絵を描くのが好きで美術の先生みたいだった。

サラリーマンらしいところが全くなく、授業でもそんなこと言っていいのかなというような反体制的なことも言っていたように思う。ちゃんとスーツを着たところを覚えていない。ちょっと風変わりな先生だった。

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学校では「学習日記」があり、毎日どれだけ勉強したかとともに一言コメントすることになっていた。

ここに私はありったけの想いを書いていた。「・・本当に心がゆらゆらと揺れました。・・」だの「・・私はなまけ者です。・・」だの、時に先生や母への怒りまで。コメント欄に書き切れなくて便箋を張ったりして。それを先生は批判することなく受け止め、認め、人としての成長を促す投げかけを便箋何枚にも渡って伝えてくれた。それは先生の生きる姿勢そのものだ。多感な時期、私は先生とのやりとりで「生きる指針」を見つけたように思う。

それは卒業しても続き、年賀状や暑中見舞いだけでなく、時折私が出したハガキに丁寧に文章をしたためてくれた。ずっとそうして手紙のやりとりは続いていた。いただいた手紙には、何度も「絵を取りにおいで」と書かれていたが、なんだか気恥ずかしくて会いに行けなかった。去年から年賀状の返事がなくなった。今さら後悔のしようもない。

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絵を描こうと観るうちに、ふっと先生のことを思い出した。そして、先生が伝えてくれたことを実践しているような感覚になった。

40年の時を経て、先生の想いにともされる。忘れているようで私の奥深くに生きている。

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「ぼくの社会科の授業は面白くなかっただろうけれど、たったひとつだけ、いつもぼくが頭の片隅に入れながら、それでも機会あったら触れようと思っていたことがある。どんな人にも”目”がある。けれど、その目は”生きている目”でなければならないということだ。”生きている目”は“物を見つめることのできる目”であることになる。ただばくぜんと見るということも”物を見る”ことだね。しかし、自分の考えで”見つめる”時、見る対象は見つめる人によっていろいろ違ってくる。風景のように具体的なものはもちろん、世の中の動きや人々の多くの考えていること、社会のなりゆきなど、その時その時自分の“目”で捕らえたものが自分の頭の中でいろいろな反応を示し、自分に”ある考え”をよびおこす。つまり、見つめるものがひとつの自分なりの考えを創造してくれる。逆にそういう自分の目が”物を見据える”ことになる。捕らえる対象が自然に自分の考えで少しずつ固まってくる。これはある程度の体験と年輪がいる。ぼくの言いたいのはそういう自分なりの”ものを見据える目”を作りなさい、ということであり、そういう”目”がしっかりしてきたときに、人は他人を本当の姿で捕らえることができるということなのだ。少し説教じみてしまったけれど、生きるということはこの”目”を確かなものにつくり上げていくことになるかも知れない。由美子が今そういう悩みを持っているのを知って、不安と期待がいりまじる。少しも悪いことではないよ。けれど簡単にいえば由美子の言う客観性をもっと大切にしてほしいな。試験はひとつの区切り。それまでは目的達成に集中してごらん。どう?     弥生六月  竹生」

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