![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46155947/rectangle_large_type_2_272735b08370bbf66eab9c5c519725cd.jpg?width=1200)
ともす横丁Vol.14 苦手が消えていく
クロスバイクに乗ろうと思う。あんなに苦手だったけど。以前はできないと思っていたことができる自分がいて、苦手が消えてることに気づいた。
自転車は小さい頃に転んで家族に笑われたりして恥ずかしさから苦手になったし、IT系は私にゃわからないって誰かにやってもらいたい気持ちが先立って、何か作ることもそんなのうまくできないしってできる人にやってもらおうとしてた。
たくさんあった苦手たち。苦手だと気づいていなかったこともあったと思う。見てみないふりしてたのかもね。できない私を見たくなくて。先に「私にはムリ」が来てたかも。
それが何が苦手を消えさせたのか。
そもそも「私にはムリ」がどこから来ていたんだろう?と探してみると、家族との関係に思い当たる。襖の陰に隠れて泣いていた母。私は遠くでそっとその姿を眺めながら、何もしてあげれない無力な自分に申し訳なさを抱えていた。無意識に自分はできないヤツにはなりたくないと思っていただろう。学生時代のテニス、会社に入ってからの仕事は無力でない自分を証明するがごとく力んでやってきたのだと思う。
退職して組織というコミュニティから離れて、私は広く社会全般がコミュニティと言えるものに変わった。そこで繰り返し起きるパターンは、どうもこの家族との関係性に端を発しているに違いないと思ったのだ。
長らく父はいるけどいない存在で、私は母の相談役となり、妹たちや家族をどうしていったらいいか、父の役目を果たしていたように思う。私は余計な力を入れて生きてきたのだろう。ある頃から左肩にある緊張が気になっていて、一体これはどこから来るんだろうと思っていたが、もしかするとこの緊張は家族の中で私が父の場所にいることで感じている緊張なのかもと気づいた。
心の中で父と対話し、父に役目を返し、私は私の場所に戻ろうとした。NLPを学んでいるまこちゃんに話すとあるワークをやってくれて、それから不思議なことにほとんど左肩の緊張を感じなくなった。
私は私の場所に戻り、家族の中で子どもの自分でいられるようになったと思う。それとともに私の願いや喜びに素直に正直になり始めた。自分のままに感じていいという許可なのかもしれない。
風を切って走ってみたい。何か作ってみたい。テレビを見たいときに見たい。畑で採れたもので何か作りたい。湧いてくる願いや感じたい喜び。
無力だと思っていた、余計な力が入ってた私。そこに気づき、そこにあった痛みに寄り添いくつろいで、長らく染みついていた何かが放たれていく。苦手だと思っていたことすら思わない。何か新しい始まりに立っている。
<「ともす」のご案内>今、直面していることをお聴きし、キャリアカウンセリングやコーチング、メンター的なかかわりで、寄り添いつつ自ら導き出す個人セッション等を行っています。
「ともす」ホームページをご参照ください。お申込は、ホームページ内お問い合わせアドレスから。ご要望や状況に合わせて相談、対応いたします。