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映画「Moonlight」感想

先日これを近所のインディ系シアターで観た際に言及したけど、来年早々に発表になるアカデミー賞の候補数を、「La La Land」と共に多分争う気配が濃厚な一作。

一言で説明するなら、マイアミの中でも黒人が主に住むゲットー(実際、撮影の殆どで、監督本人が出身のリバティ・スクウェアで行われた)で生まれ育った黒人男性の、人生記。幼少期、青年期、成人期の三部に分けられ、それぞれ違う役者を使い、物語を進めていく構成。

題材的に正直、どこまで「入れる」かは分からなかったし、ラストの成人期でそれまでの映画的な流れを急激に断ち切るかのような展開になる為、観終わった後には違和感があったものの、冒頭からの畳みかけは本当に面白くて、安定しないカメラからの客観的視点、迫力重視の主観視点、画面中央にキーとなる人物を置いての滑らかな360℃スピン、セリフ以上の感情を伝える登場人物たちの表情の大写し、との具合に、映画でしか観られない特性と技法が、全て受け手の興味を惹く形で仕掛けられているとの印象。

またカメラの外で起こった重要イベント(特に、主人公が最初に出会う売人の生き様)をほんの少しのセリフで説明し、本筋の外堀を受け手に埋めさせてくるやり方も、その匙加減が絶妙なので、効果的に働いていると私は思った。

登場人物の感情を表情以外でも伝えるべく、撮影後のカラー・グレーディング(色調整)にも相当こだわった、というのをIndieWireのインタビューで撮影担当者たちが語っていたが、確かにこれだけセリフが少ない上に黒人俳優オンリーの映画なのに、主要人物たちの描き分けが凄く器用だとも感じた

ここぞの場面でのBGMの入れ方も含め、人間ドラマを描いた長編映画として、山あり谷ありが明確に伝わってくるので、単純に面白い。それが先ず、この作品がやけに高評価の大きな理由だろう。

で、もうひとつはやはり、先述の通り、監督のバリー・ジェンキンズ(Barry Jenkins)が実際にリバティ・スクウェア育ちなのもある事から来る、話しのリアルさ。

どうしようもないシングルマザーに育てられて、学校でもイジメに遭って、成人期には豹変するが、最終的には親友と邂逅(ここでまた、同性愛に対する作品の視点が、活きてくる)、という、世界のどっかには本当にこういう人生を送っている人が居るんじゃないか的な現実感がある。しかもそれを、長編映画らしい劇的な見せ方で通しているから、ロッテントマトスの総意で「...lives too rarely seen in cinema.」と評されたのが、やけに納得できるのだ。

親のせいで孤独感や疎外感を幼少の頃から味わう、というのがまた、実際にそういった目に遭っているひとたちの話しを私が聞き過ぎたせいもあって、映画的な面白さをきちんと味わえる一方で、絵空事のように映らないとの、妙な感覚に陥ったものだ。

さっきこの文章の最初のほうで「観終わった後には違和感があった」と書いたんだが、多分その観た直後に感じた違和感は、そこだろうね。フィクションのように見せたノンフィクション、いやフィクション、いやいやいや、みたいな。

ストーリーの土台は、同じくマイアミ出身の劇作家(Tarell Alvin McCraney)が学校用のプロジェクト的に書いた脚本との事で、それが今やアメリカ中の評論家から絶賛を浴びているのだから、世の中、何がどう発展するのかは分からないものだ。

観ている側の想像力を試す部分が非常に多く、かなり受け手を選ぶ作品ではあるけど、ここまでの私の感想から「これはもしかしたら……」と感じたのならば、一か八かで飛び込んでみるのも、アリかもしれない。