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今から38年前のハロウィン映画

2016年のハロウィンはよりによって月曜なので、ここアメリカにおいては、現役の特に高校生たちにとっては(あまり遅くまで遊べない為)例年よりもシケた盛り上がりになるのは、想像に難くない。

というのもアメリカのハロウィンは、小学生ぐらいの子供たちにとっては合法的なお菓子狩り、まだ保護者同伴な中学生は家族ぐるみでイベントの雰囲気を楽しむ一方で、あれこれ色気盛りの付いた高校生にもなると、いかにインスタントな彼氏彼女をそれまでに作って当日はクラスメートに見せびらかせて(当然、女子は露出度の高いコスをこれでもかと着る)、親の居ない瞬間を狙って家に忍び込んで合体!という、超リア充イベントだから。

私自身がコッチの短大・大学へ通っていた時、クラスメートでアメリカ人のやたら多い、その辺のCBSやFOXドラマで観るような典型的なアメリカの高校に通っていたひとたちと何人も遭ってきたが、そのひとたちからは、上記のようなハロウィン話しは「あるある」どころか「On this day, girls dress like a bitch.」と口を揃えて言われた程。

今の発言で、人種を超えての野郎共からの意見なのが丸分かりかもしれんが、また中部の州から移ってきたひとたちからは、アジア系の人種はかなり下に見られる、このイベント自体が人種差別、というリアルな話しを聞かされたりもして、つくづく、私のアメリカ学生生活が、様々な人種と年齢が集まる西海岸の短大からで良かった気がしないでもない。

1980年代に大量生産されたアメリカ製のホラー・スプラッター映画のお約束である、童貞処女以外は片っ端から惨殺されるコンセプト(後に高名な映画評論家によってDead Teenager Moviesとジャンル付けされる)というのは、そうやってハロウィンにパコッて笑しまう「ガキども」を教育する目的も、実はあったりする。

R指定だ何だと言っても、親と一緒にホラー映画を観に行ったりすると他のクラスメートから笑われるので、必然的に気の合う仲間やら、ハロウィン用にデキたカップルが、ホラー映画を観に行く層の中心となる。なのでそうした映画の製作者側(スタッフの大半が、学生時代にハロウィンを詰まらなく過ごした、というオチが囁かれたりもする)は、これでもかとばかりに、こういうコトするとこんな悲惨な死に方するぞ、とのノリで、商業映画なのを忘れるほどのドキツい残虐場面を盛り込んでしまうのだ。

今から38年前の1978年、10月25日(水)にアメリカで公開された「Halloween(ハロウィン)」は、そのあまりの特徴的な技法、見せ方が山盛りな事から、1980年代に乱発されたホラー・スプラッター映画にパクられ放題になるほど、古典作品として今でも有名。

面白いのは、残虐シーンばかりがエスカレートしていく一方だった後発の模倣作と違い、この元祖ハロウィンはそうした場面が殆ど無く、(観客視点となる)主人公たちが理不尽な恐怖に心理的にどんどん追い詰められていくとの見せ方が、作品の中心。

例えば、主人公たちを道路の向こう側から撮影しフィジカルな距離感を大きく取るように見せて「何かに見られている、追われている」感をじわじわ演出するカメラワークや、カットが切り替わった瞬間さっきまで誰も居なかった場所に怪しい人影が一瞬だけ映る、などなど、受け手の不安感を煽る細かい工夫があちこちに撒かれており、私自身がこれまでに余裕で千を超える本数の長編映画を観たと言っても、今回数年ぶりにコレを改めて観ていて、驚く発見が少なくない。

ハロウィンの時期になると、アメリカのラジオ局が好んで流したがるテーマ曲を始め、この作品は音楽の使い方が非常に器用だった事でも良く知られているし、BGMが受け手の緊張感をしっかり果たしている作品としても、分析のし甲斐があると思う。

撮影の大半は、私の住むパサデナの南側でこれまた高級住宅街の目立つサウス・パサデナ(South Pasadena)で行われており、バック・トゥ・ザ・フューチャーの1作目の民家(1955年にタイムスリップしてからの)のシーンも実はこの辺りで撮影されているが、サウス・パサデナの町並みは2016年の今でもあまり変わらない事から、このエリアを視覚的に楽しむ機能も十分に、果たしていたりする。しかも撮影期間は、別のロケーションも含めて、たったの20日間と言われているから、当時のスタッフは何か特殊な閃きを持っていたとしか思えない。

この作品が制作された当時の特殊メイク技法はSF映画への適用が主その技法がホラー映画の人体破壊描写等に利用されるのは先の話しになるので、その事が逆に、カーペンター監督の知恵をフル回転させて、限定された期間と役者、道具の中で、後発組にパクラれ放題のアイデア満載且つ洗練された長編として、ジャンルを超えて映画史に残る古典的名作へと昇華されたのでは、と思う。

また、この当時のアメリカ映画は複雑な単語や言い回し、流行語を使わないので、リスニング力を試す意味でも、敢えてオリジナルの音声で、字幕無しで観るのに挑戦するのも、勧めたい。

まあ正直、刺激に慣れた今の目で見ると、安っぽい部分も多々見受けられるが、まあその辺はご愛敬、ということで。

ロッテントマトスのコンセンサス(総意)でも、「...set the standard for modern horror films.」と書かれているが、こうした、コッチのニュース番組でも信頼できるソースとして引用されるウェブサイトにおいてもそういった評価がされるのは、それなりの理由があるのだ。