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大きな声が出せるという幸せ

田舎に住んでいる。

小さな頃に通っていた音楽教室の、歌が上手な友達は当時「夜の田んぼでひとり、歌の練習をしている」と言っていた。

大きな夜空が広がり虫の声が響く田んぼの真ん中で、好きな歌を好きなだけ歌っている彼女を想像して、私はなんだかかっこいい・・・とおもっていた。

音楽教室には通っていたけれど、当の私は、音楽が好きという感覚も意識せず、ろくにピアノの練習もせず、なんとなく卒業してしまった。通い始めた小学一年生の頃から卒業する小六まで、なんとなく通っているという、ふまじめな生徒だった。

それでも、中学生くらいになると、歌とか音楽とか「自分の声や体を使って自分の心を表現出来る」ということにすごく魅力を感じるようになった。

やっと、「この心を表現してみたい」と思うような「心」が現れてきたのだ。

もしかしたら、小学時代のように「真昼間の太陽みたいにはっきりとした心」ではなくなったからかもしれない。

中学生になってほんの少し、「太陽を遮る雲」が出てきたのだ。はっきり見えていると思っていた心が、自分でもなんだかよくわからないというモヤモヤしたものになってしまっていた。

そして、思った。

表現することで、自分にも他者にも、この心が分かるようになるんじゃないか、と。

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ピアノは小学時代怠けていたから、ほぼ弾けなかった。すごくもったいないことをした、と思ったけれど、「声があるから、まだ表現出来る」と思って、「歌」と「声を使ったお芝居」を独学で始めて、すぐに大好きになった。

声にして、心の中の何かが、「聴こえるものとして形になる」ことが嬉しかった。

その「形になった心のようなもの」を聴いた人の心にも、なにか変化が起きているらしい、ということも嬉しかった。

お芝居をしていると「自分の声の調子」で「相手の声の調子」が変わったり、その逆もあるということも、楽しくてたまらなかった。

つまり「声でやり取りしている」というよりも「心のやり取りができる」楽しさに夢中になった。

歌もお芝居も言ってしまえば、

現実世界のすぐとなりにある、「つくられたもの」だ。

日常そのものではない。

だからこそ、その「つくりもの」が「ほんもの」のようになるには、

表現される自分自身の心が「ほんものの心」でなくてはいけなかった。

そして、「そのほんものの心の声」を表現できるのは、

お腹の底から出てくる、周囲にはばからず出せる、大きな声だった。

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高校に進学してからも、部活は放送部と演劇部。

家に帰れば相変わらず家の階段をステージにして、大きな声で歌ったり、芝居のセリフを言ったりしていた。

ご飯を食べながら歌を歌って、親にたしなめられたこともあったし、

風邪をひいて寝ているのに、歌を口ずさむこともあった。

もはや、中毒かなにかだった。

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そんな高校生の時に、「理想の家の間取りを書く」という授業があった。

好きなように、自分の住みたい好きな家を考えていい、と言うことだった。家庭科の授業だったと思う。

それで、私は、「死ぬまで遠慮することなく歌をうたえるよう」に、「みんなが、周囲を気にせず大きな声を出せるよう」にと、大きな防音スタジオを、理想の間取り図の中心に書き込んだ。

もちろん、洗濯をしながらでも、ご飯を作りながらでも、「理想の家」で歌う予定だったが、それとは別になんの気兼ねもせず大きな声で歌える空間が欲しかった。それはその時の自分にとっての「理想の家」としては一番大事な要素だった。

他の生徒が、どんな間取りにしたのかは覚えていない。みんなは、その時どんな家に住みたいと思っていたのだろう。

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高校を卒業して芝居を学ぶために、東京に出て一人暮らしを始めた時、一番困ったのは、大きな声が出せないということだった。

東京のアパートの壁は、「日常の生活音」はもちろん、「私と友人が話す恋バナ」も、隣人の「就職が決まった時の喜びの声」も、おぼろげながら伝えあってしまう厚さだった。

私は隣人の声が聴こえても別に気にならなかったが、一部の隣人にとってはこちらの声があちらに聴こえることはたいそう迷惑だったらしい。

ときおり、壁をドンドンドンと叩かれたりもした。

歌いたい時に、大きな声で歌えない。

気兼ねなく、友人と話ができない。

アパートで歌が歌いたかったら、声を出さずに息だけで歌うしかない。

ウィスパーボイスというやつだ。

それが、ものすごく、もどかしかった。

カラオケとか、学校の稽古場とか、そういうところではなくて、

「日常生活の中でリラックスしながら、自由に思い切り声が出せる」

ということを、こんなにも切実に願ったことはそれまでの人生ではなかった。

ただ毎日、「気兼ねなく思い切り声が出したい」と願っていた。

結局そのアパートでの生活は、隣人から「いつも音がうるさい」という苦情をドアに貼られたことがきっかけで、それならもういっそ・・・と、もう少しだけ音が出せる環境の賃貸住宅へ移ることを選び、終了した。

それでもなお、なかなか大きな声で歌を歌える環境というのはないものだなぁ・・・という気持ちを噛み締めながら、遠慮しながら暮らしていた。

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あれから、15年。

私は今、田舎に暮らしている。

今日に至るまでの日々で、まぁ、割愛するがいろんなことがあった。

声が出せる環境になったのに、大きな声で歌を歌うことをやめ、腹の底から声を出すこともしなくなり、声がまるで弱くなってしまった時期があった。

それに気づいたのも、久しぶりに友人からもらった電話で「声が変わったね」と言われて、初めて気がついたくらい声を出していなかった。

それは、声が変わった・弱くなったというだけではなくて、

私自身の心が変わって・弱くなっていた証拠だった。

大きな声で心を表現するなんて、もうとてもできない。

そう思ってしまう自分が、すごく寂しかった。

でも、最近。

大きな声で歌うようになった。

歌いたいと思うようになった。

下手くそだけど、大きな声で歌っていると、なんだか元気が湧いてくる。

大きな声で、友人と馬鹿みたいに話していると、喜びが湧いてくる。

もちろん田舎だって、「隣の家に響き渡るほどの大きな声」で真夜中に歌ったら迷惑にはなるが、日中それなりに配慮をすれば、家の中で友人とバカ笑いしても、大きな声で歌っても、即 近所迷惑にはならない。

「リラックス出来る空間で大きな声を出せる」ということは本当に幸せだ。

歌を歌いたいように歌う。

好きなトーンで、自由に話す。

「大きな声が出せる」というのは、「ほんの小さな幸せ」かもしれない。

でも、その小さな幸せこそが、何よりも欲しかった。

その小さな幸せは、なんでもない日常のなかでこそ、真に活きている。

「なんでもないことを心の底からの声で表現出来る」という、

大きな喜びがそこにはある。

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ひとには、それぞれの幸せのカタチがある。

だれもが、望むように生きられればいいと思う。

「環境」がそれを阻むのならば、その環境に居続けることを選ばない、

ということも、ものすごく大切だ。それは「逃げ」ではない。 

「自分にとっての幸せな環境を選びとる」ことだ。

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心のままに、生きられること。

心のままに大きな声が出せること。

私はそれこそを「幸せ」と呼ぼうと思う。




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