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ソウルでの展覧会の備忘録

前回の京都での展覧会を見に来てくれた人からフェイスブックを通して、メッセージがありました。「韓国での展覧会に参加しませんか?」という内容でした。その人自身はアート関係者ではなく、知り合いの知り合いが企画しているのを聞いて、私を誘おうと思いついたそうです。

展覧会の内容は「平和を願う風刺漫画展」。私は芸術家で漫画家ではないし、平和はいつでも願っているけれど、平和を願う作品でもありません。補足ですが、芸術(抽象度が高い→わけわからんと言われやすい)/漫画(具体性を示す→視覚で理解しやすい)と言う程度で書いているので、異ジャンルは嫌だとか、マウンティング合戦始めたいとかではありません。ねんのため。

風刺漫画は「今」の時間を切り取って、どんな状況にあるのか一コマでわかるように、何をいわんとしているのかすぐにわかるようにしている作品たちです。私の「で?結局なんなん?」と言われそうな、ほわっとした作品たちとは異なるので、私が出品しても場違いになりそうです。

その展覧会は何の平和を願っているかというと、昨今の米韓日の関係を憂いて、お互いに批評しあいましょうというものです。日本が韓国を批判しても、その逆でもいい、お互いに同じ展覧会でそれを出し合いましょうと。といってもアメリカの作家はおらず、韓国と日本の作家のみで構成されています。そこに韓国でも日本でもない、在日韓国人という存在がいたら面白いだろうという目論見で私が誘われたのです。

結論から言うと、その場違いな展覧会に私は参加しました。そして漫画家だけでなく芸術家も入れた展覧会にしようということになりました。慰安婦少女像(知らない人は、Wikiで読んでください。私もほぼ知りませんでした)を製作している彫刻家の夫婦や、センセーショナルすぎる風刺画で裁判をいくつも抱えている漫画家(お会いした時も警察ともめたと言っていて、顔がすこし変な風になっていました)、ロイターに写真を提供している報道写真家などなど、韓国側はいってしまえば「ガチ」勢が揃っています。

日本側は、70歳を過ぎても風刺漫画家を続けている方(風刺漫画の素人の私からみると、おじさん向けの週刊誌にのってる典型的な作風)や、大学で風刺漫画を専攻し、イラストやテレビのテロップなどを制作している比較的若い人たちなどですが、全体に「お決まり」な作風でした。作風が見慣れすぎてて、批判しててもスルーできちゃうような感じです。

そこが日本の良きつつましやかさだったり、「風刺する」ってそれぐらいライトな感じが丁度よいのかなとも思いましたが、観客に作品を届けるというよりは「私にはこんな風に見えています」という内向きの表現にも見えてしまいます。韓国側の「みんな見ろ!これが世界だ!」という制作のあり方は、少しくらい取り入れても良いのかなとも思いました。ちなみに、この文章を書いている私は日本側の心情です。物事を考える時の私は、調子よくあっちとこっちを行ったり来たりです。

展覧会の企画は、左翼のNGO団体が主体です。展覧会場はそのNGOが持っているビルにあります。すごい偏見ですが、「左翼のNGO団体」(右翼でも同じですが)が持っているビルって、政治家のポスターとか主張することばっかりたくさん貼ってあって、だっさいんだろうなと思っていました。ついでに言えば貧乏くさいんだろうなと(すみません)。私はリベラルなんだと思いますが、ダサいのはツラいです。

googleマップに導かれて、展覧会場についた時に「あれ?住所はあってるけど、おしゃれカフェがあるし、ポスターがんがん貼ってない。ビルもガラス張りで開放感があって貧乏臭くないぞ。NGOのビルって言ってもどこか一角を間借りしてるのかな?」と思いました。

しかし、そのビルがNGOのビルでした。環境系のNGO団体のビルも見せてもらいましたが、そこもガラス張りで広い庭まであってすばらしい開放感。カフェがあり、オーガニックのお店があり、屋上は太陽光パネルで、全体に明るくてセンスの良い建物でした。

韓国のNGO(非政府組織)は、日本より寄付や人が集まりやすく、ノテウ大統領の時にNGO組織が政府に関与されづらい仕組みも作られたので、このような大きな組織を維持できると職員の人に聞きました。韓国は集まらないと影響力を出せないけど、日本は一人でがんばって活動している活動家がおおくて尊敬すると言っていましたが、私はこのように寄付が集る方がいいなーと思いました。

今回の展覧会の企画者も、ノテウ大統領の時に意見交換の食事会をしたことがあると言っていました。なんで大統領に呼ばれるの?と聞いたら、それは大統領は国民の意見を聞く義務があるからだ、いまのパククネ大統領は国民の話は聞かないけどね。と言っていましたが、韓国事情は知らないことがおおくて、いろいろ目からウロコでした。

とにかく、この展覧会は「届ける」ことが目的とされているということがわかりました。「作ってみました」ではありません。お互いの批評と、それを届けること。当たり前と言えば当たり前ですが、アートの展覧会では、それは自明ではなくて、いってしまえば実験というか研究をしているような所もあり、「届ける」対象や時間軸も違うので、このような展覧会はいつもと違う刺激があります。

とはいっても、展示はひどいものでした。パククネ大統領の辞任を求めるデモが一番ヒートアップしていた時期なので、デモに参加して展覧会場の警備がいないからと、突然休廊してみたり、展覧会の会場構成も、展示の仕方も、美大生たちがやってくれたのですが、素人ぽくて雑でした。気合いはわかったし、作品もセンセーショナルだけど、これじゃあ「届ける」には程遠かったです。

「今回は第一回目だから勉強した。次はうまくやる!」と言っていましたが、韓国の人たちの前のめりな気合い(広報とかコミュニケーション)と、日本の人たちの丁寧な作り方(会場構成や設営)をうまく合わせたら、次はより良くなりそうな気がしました。

余談ですが、韓国はアーティスト・イン・レジデンスや観光で何度も訪れたことがありますが、いつも言語は中途半端。カタコトで喋れますが、読み書きはできません。今回は読み書きを暗記してから行きました。その際に、お互いの言語について、文化や関わり方について、面白い考察ができそうだと思ったのでまた機会があれば韓国に行こうと決めました。

あと、慰安婦の人たちにも会ってきたのでその話もいつか書きたいと思います。

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