メッシュワークの学び#3

課題図書2冊とは、この数日ずっと向き合い続ける。
通勤電車の中で少し開いては、閉じる。

なかなか進まない状況でも、
こうして関心を持ち、強引なまでに目を通してきたことで、
フィールドワークとはどういうものかの片りんに触れられた気がする。

確かにここ数日は苦慮したけれど、
こうまで課題として設定されないと、きっとここまで目を通せなかった。

心の中で息を切らしつつ、有難いなあと、しみじみ思ったのでした。

3回目の今日は、その課題図書への感想や気づきのシェア。
いつものことながら、メンバーの方々の着想には脱帽する。

・フィールドを言語化するということ
・映像を撮る事の可否、それによる「分断」の示唆
・余白という概念、フィールドに入ると一旦忘れること
・事前データは取るが、過信しない。あるが、囚われない
・強いC、弱いC(ここは大変気づきが多かった)
 雑談しましょうという場が、既にその自然的な機能性を失っている危険性
・人類学って、「やがて実になる」感じかな。
 どんな果実に育て上げるかというバックキャスティングよりも、
 フォアキャスティング的要素もあるのかな。目指すというよりも、結果こう、みたいな
 (あくまでも私の感想)
・倫理との向き合い方
・私たち、という括り方の範囲について
・マリノフスキーの理論的なデータかつ基礎データから掘り起こす良さ
・クラという仕組みに気づいた勘所ってどういうものだろう…
 断片から、彼らが大切にしているようだという確信に至ったプロセスが観てみたい
 (きっと他にも、たくさん集めて確信しては、捨てていったんだろうなあという途方もない想像)

ざっと箇条書きするとこういう感じでしょうか。

フィードバックは今日を迎えるまでは、
まだまだ文献的というか、机上の中で思考してきた感じでしたが、

来週は遂に「実際にやってみましょう」が待っている。

そういえば、人類学に興味を持ったのは、ロジックや手順など、いわゆる「枠組み」に支配されない、そこにある、そこで起こる事に目と耳を向けられる、とっても大事なものに触れられそうな、そんな質感に惹かれたことを想い出す。

マリノフスキーも、フィールドワークへの挑戦で書かれた方々も、
もれなく、読んでいて現場に流れる風や、音や、人の息遣いが、
聴こえてこないけど触れられそうなニュアンスに満ちていた。

もしかしたら、
まあまあ、なかなかなものを私はしようとしているのかもしれない。
(妙なオノマトペ)。

さて来週である。

勿論やったことないし、妙な感覚だけど、
こういう戸惑いが、妙に心を揺さぶってくる。

人間の好奇心が、ちょっとくすぐられている感じを覚えつつ、
ネットで天気図を見て、台風の位置に目をやる。

もうどうなろうと、全てがフィールドワークだ。
でも防災対策は、万全に。

勝手に力が入っている。
楽しみになってきた。


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