理解を示す、というサービス

通常、「理解を示す」というのは一定の同意や共感など歩み寄る姿勢を示すことを指す言葉だったりするわけですが、ここでは字面の通りに自分の理解(解釈)を提示したり、理解力を誇示したり、ということについて書きたいと思います。

コンサルティングサービスの構成要素

コンサルティングについての私の一連の記事では、コンサルティングサービスとはプロジェクトワークの専門人員派遣と位置づけています。プロジェクト型の働き方について習熟した人間をプロジェクトチームに一定の割合で配置しておくことで、プロジェクトの成功確率を上げる、ということがもっともベーシックなサービス内容であると考えています。

実際には個別の高度な問題解決スキルが求められているであるとか、技術的な知識を期待しているとか、漠然とした課題に対して適切な問題枠組みを与えることで考え方そのものを整理するとか、個々のコンサルタントに期待される技能・スキルには様々なものがあります。プロジェクトワークの進め方の知識と経験があり、スケジュール管理や課題管理の勘所やスケジュールやリスクに対する肌感覚を備えているということにも価値はあるはずですが、それ意外にもコンサルタントに一般的に求められるものがあります。

それは、(自称コミュ障の私としてはこれを書くことには忸怩たるものがありますが)、コミュニケーションの円滑化・リスク回避です。今や「コミュニケーション能力」は全人類に求められる能力と言っても過言ではない状況とも言えそうですが、誰にでも話しかけられるとか誰とでも仲良くなれるといった社交性の観点はひとまずここでは無関係です。コミュニケーション上のロスをどれだけ無くせるか、ということを問題としています。コンサルタントには、プロジェクトワークで発生するチーム内や各ステークホルダーとの間のコミュニケーションの不具合を少しでも低減させる義務を(少なくとも暗黙には)負っています。コミュニケーションロスの低減はコンサルティングサービスの一部とも言えます。

認知的負荷の低減(=技術的にできる恐らくはただ一つのアプローチ)

コミュニケーションのロスはどのようにすれば防げるでしょうか? PMBOK(プロジェクト管理の知識体系)などによれば、ステークホルダーの識別をしっかりした上でコミュニケーションマネジメントの計画を立てましょう、なんてことになるのですが、ここではそういったプロジェクトの進め方自体を規定できるような権力がない人の立場で、どんなことができるか、という点にフォーカスして考えたいと思います。

プロジェクトはその定義からして有期の活動です。顧客企業側のメンバーはその期間だけは専任でプロジェクトワークに携わっているという場合もありますし、あくまで兼務で関与しているという場合もあります。さらに、大抵はそのメンバーを通してコミュニケーションを取ることになるステークホルダー、他部門やマネジメント層などは確実に当該プロジェクト以外の仕事を抱えています。つまり、「忙しい」、プロジェクト以外のことに気を取られ勝ちな人達に対してコミュニケーションを図るというのが、プロジェクトワーク中のコンサルタントの基本的な働き方、ということになります。(これはプロジェクトワーク中のコンサルタントに限らず、キャリアの浅い社会人一般にも当てはまることかもしれません)

忙しく、あまり関心を持ってくれていないかもしれない人に正しくメッセージを届けるにはどうしたら良いでしょうか? 我々の側からできることは事前の準備として、相手側の認知的負荷を下げる(分かりやすく、誤解の余地が少ない)形にメッセージを成形する、という工夫があり得ます。例えば、提案書など2022年現在でもPowerpointで作成することが一般的だと思われるタイプの資料に関しても、図表の位置がしっかり揃っていないとか、漢字表記にブレがあるとか、かなり内容とは無関係の些末なポイントに心血を注ぐということがコンサルティングサービスの現場では求められることが多いです。これは、その些末なポイントに気がつく、というイベントが読者の側で発生するとそれだけ認知的なリソースを消費してしまうからです。そのリスクを回避するために、事前の準備に力を入れている、という構図は頭に入れておいて損はないと思われます。

ちゃんと分かってますよというドヤ顔の効能(?)

本題に戻ります。メッセージを確実に届けるという発信者の立ち場だけではコミュニケーションは完結しません。相手側から発されるメッセージを正しく受け止める必要もあります。ここで重要なのが、「理解を示す」ことであるわけです。プロジェクトワークはユニークな活動です。その場の状況に依存する特殊な条件などについてもお互いに承知しておかなければ正しい意思決定ができない、ということもしばしば発生します。となると、相手の立ち場に立って考えた場合、こちらが相手の意図を正しく理解できているか、というのは非常に気になるポイントになります。その時、適切に「理解を示す」ことができれば、コミュニケーションの精度に対しての信頼が増し、コミュニケーションはより円滑になります。

これは、単に相手の言うことを結果的に正しく理解してればよい、ということではない、ということを意味しています。我々は、単に正しく理解するだけでなく、相手にこちらが正しく理解しているということを伝える必要があるのです。

相手に何かを伝える、というのは、またこちらが発信者になっている、ということに注意してください。自分の理解の内容や、自分の理解力の高さを、相手にとって受け取りやすい(認知的負荷の低い)形で、出していく必要があるということになります。

かといって、終始「分かってますよ」という顔でニヤニヤしていても恐らく好印象は得られないと思われます。単なる復唱で真剣に聞いているという姿勢を示すだけでも効果はあるかもしれませんが、できれば適宜、相手の発言をパラフレーズ(言い換え)して理解の正しさを確認したり、あえて異なる条件下に当てはめたらどうなるか、などを検討した上で意見を求めたり、ということで相互理解の深さを確認する手がかりをお互いに得ることができれば、相手が「ちゃんと伝わってるのだろうか……」と不安になるリスクは解消されて行きます。

これはもちろん第一義的には性格の問題だと思いますが、一般的に理解力が高く物わかりが良い人は、わざわざパフォーマンス的に言葉を尽くして理解の程度を示す必要を感じないことが多いとも考えられます。そうした人は、意識して自らの「理解を示す」ために言葉を使うことで、プロジェクトチーム内でのコミュニケーションは一歩改善する期待があるのではないかと思います。

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