私が何者なのかを決めることは必要か?(前編)
私は2018年からフリーランスとなり、今年で5年目となる。
最後に働いていたのはPR会社なので、今やっていることが「フリーランスPR」だとわかりやすいのだけど、私はPRをやるというよりも、自分の正直な欲求をより明らかにしつつ、それに従って、何にも囚われず、いろいろな模索をしたかったから独立した。
私のキャリアはアパレルメーカーの販売職から始まる。
ここで書くと長くなるので書かないが(また、以前に私をインタビューしてくださった、玉井さんの記事に詳細はあるので割愛)大学時代にはお笑い芸人になることなども検討し、まともに就職活動をせず、少々迷走した結果たどり着いたスタート地点だったので、最初はなかなかキツかった。私、何をしてるんだろうと、何度も自分を責めた。
でも、そんなアパレルの仕事で、思いがけず「人の人生がより良くなるきっかけ」を提供できることが、私にとってかなりの原動力になると気づくことになった。
アパレルの販売って、経験者とはそういう話で盛り上がれることがあるのだけど、服という、付加価値をたっぷり含ませることのできる媒体を通じて、人の人生の好転に結構直接的に関わることができる仕事だったりする。
私が20年超の仕事人生で一番嬉しかった瞬間は、今でもダントツ「野島さんからお買い物するようになって、人生で初めて彼氏ができたんです・・!」と、最初とてもシャイだったお客様が、1年ほど経ったある日、報告をしてくださった時だ。以前より見違えるほど積極的に話してくださるようになり、この方の変化が自分のことのように嬉しくて、私は「服に合うバッグを選んで欲しい」と言われれば、お店を後輩に任せ、別フロアのバッグ売り場に一緒に行ったり、夢中でお手伝いした。別のお客様からも「結婚式のドレスを選んで欲しい」と言われれば(私が扱っていたのはあくまでキャリア女性向けの通勤服の類であったのだけど)、休みの日に一緒にウェディングドレスを見に行って、結婚式に少し花を添えさせてもらった。
そんな喜びを、何故だかPRの仕事ではなかなか感じられず、PR会社に転職してからしばらくは悶々としていた。でも、自治体のPRに携わるようになり、PRを代行するのではなく、PRのやり方をお客様にお伝えしながら伴走する仕事をするようになってから、昔感じた喜びに近いものを得るようになっていった。ご一緒していた職員の方が、目をキラキラさせながら「今、PRが面白くて仕方ないんです!」と話してくださったり、「あなたが来て、広報課はすごく変わった」と言ってもらえたりすると、何とも言えぬ充実感に包まれた。
そんなこんなで、「人のポテンシャルをひらく」ということに自分は夢中になるのかもしれないと改めて気づき、実現の仕方も決めないまま、会社を辞めたのが2018年1月。
フリーランスになってからは、「いかに自分が本当にやりたいことで経験を積むか」と、今までのイメージから脱皮して、「これからやっていきたいことで自分をどうまわりに認識してもらえるようにするか」を模索するようになった。
続きは後編でまた書こうと思う。