自己信頼と余白の関係性
noteを開くのが久しぶりになった。
2022年の10月に、noteを書き続けることで発見できる自分であったり、その先には新たな仕事の出逢いなんかも期待して「毎日書く」を始めた私。ある意味それが奏功したとでもいうのか、12月頃から日々がとても忙しくなってしまい、1月もありがたいことにそれまでの種まきの結果いろいろな話が入ってきて、目の前に追われているうちにnoteを書く優先順位が自分の中で下がってしまった。
下がってしまった、と書くとそれはいけないことのようでもあるけど、自分の中ではそれもそれ、と割り切っていたので、あまり自己否定感はないのだけど、今はまた少し整理をしたいフェーズになってきたのか、急に文章を書きたくなったので書いてみることにした。
(私にとってnoteは、とても信頼できる友達のような存在らしい)
ここ数週間で私は2度ほど、軽い体調不良に陥った。
一度目は、6日連続で会食をしていたら、胃腸の調子が悪くなり、
二度目は、突然軽い微熱が出た。
二度目は、お世話になっている大好きな方が神戸から横浜に遊びに来られる日に発症した。スッキリ目覚めて、シャワーを浴びてた時は全然元気で、ところがメイクを終えたあたりで「ん?なんとなく身体がだるいかも・・」と熱を測ると37.1℃。同行はお任せし、夕方頃まで身体を休めつつ様子を見て、結果的にはコロナでもインフルでもなく微熱も下がったのだけど、おそらく最近常にいろいろなところに意識を張り巡らせて、睡眠も不足しがちだったことによる疲労が原因だったようだ。
いずれも、仕事に穴を空けたわけではないものの、関係者の方には変更等依頼することとなったので、本当に申し訳ない限りなのだけど、こういうことが私の人生ではこれまでにもちょこちょこ起こっている。
ひとことで言うと「やりすぎ」てしまっている。
昔に比べると、早い段階で気づくようにはなってきているのと、さすがに個人で仕事をしている自覚からか、「仕事が遂行できなくなりました」ということは一度もないのだけど、ちょっと限度を超えてしまいアラートが出る、という状況にはいまだ、たまに陥ってしまっている。
原因としては、どこかで「今は突っ込んでおこう!」とイケイケになってしまう時には、余白マネジメントを長期スパンで捉えすぎて、私にとって適切な頻度で余白を入れることをおろそかにしてしまうのだと思っている。
わかりやすく言うと、本当は5日に一度は休みを入れる方がいいのに、15日突っ走って、3~4日休めばいいじゃん!といったことをしてしまうということだ。
そしてもうひとつ思うのは、余白を定期的に適切に入れていけるのは、自分をどれくらい信頼できているか、とも連動しているだろうということ。
昔の自分を思い起こすと、今やっておかないとこのチャンスはなくなるのではないか、とか、何らかの恐怖心のようなものがベースになっている時は、やはり余白をつくることがなかなかできなかった。
今は、恐怖心というよりは完全に「全部楽しそうだから入れたい!」と調子にのってしまう方が大きいとも思うのだけど、これもある意味、「今でなくても楽しめる」という自己信頼が強くなれば、もっともっと自分が人生をコントロールできると思うのだ。
実はその兆しをここ最近感じていることがあり、それは、いろいろな話が来る中で、面白いくらいに「自分が本当に望んでいること」だけが最終的に実現していったり、残っていると気づいたことなのだ。(最初は自分でも気づいていなかった欲求に、目の前に起こる流れや現実から後で気付かされるとでもいうのか・・・)
体調を崩したのもいい機会。これをきっかけに、もっともっと自分の流れと未来を信頼して、今年のテーマである「精査」を進めていきたいと思う。