私の人生の転機~きっかけストーリー①
人生のリスタートを応援します!田中優美子です。
母親たちの世代の生き方がロールモデルだった、
昭和生まれの私たち。
ときはバブル終焉であったけど、就活もあまり苦労も悩みもなくすり抜けてしまった。
いま学生たちの就活講座を担当しながら、「いまは何かと大変だ…。」
と思う。でも、社会に出る前に自分について知ること、働くことってなにか?考える時間。
これからの長い人生において、とても大切なことだと思える。
なぜなら…なんとなく、
「普通は」「みんなは」こうするもんだよね~
っていういつの間にか染みついちゃったながれを
疑うことなく生きてきた。
自分が行きたい学校、学びたいことというよりも、
自分が入れそう、狙えそうな点数の学校を選ぶ。
世の中的によいと言われる会社に就職し、30歳手前で結婚。
結婚したら、寿退社。子どもは2人くらいの4人家族が理想。
子どもは母親がたっぷりと愛情を注いで育て、
手が離れてきたら、パートで働く。
それが私の理想??
このそこそこの、「普通な」「みんな」がする生き方が
あるときを機会にがらりっと変えることとなりました。
なぜ、私が人生のリスタートを応援するコーチをしているのか?
私のきっかけストーリー
お読みいただけましたらうれしいです。
※長文です
***
私は自然豊かな長野県長野市の出身で、
現在も住んでいます。
幼いころはショートカットで、ショートパンツ。
いつでも大好きな自転車を乗りまわす。
2つ年上の兄の影響で、
赤い自分のグローブでキャッチボールして遊ぶ。
といった、かなりオテンバな女の子。
週末は、母の作ったおむすびを持って、
家族で近くの山にハイキングに出掛けるのが恒例でした。
とても楽しい思い出です。
***
進学や就職の場面では、
東京の短大に進学すること
イギリスにホームステイすること。
あらゆる場面で私の選択を応援してくれました。
振り返ると、両親からの愛情をたっぷりもらって育ったんだなー。
と感謝します。(今でも、もらい続けてますが…)
学校生活も、良い友人関係が築けました。
特に高校時代の剣道の仲間とは、
厳しい練習を乗り越えることで、
「共に成長する」という、
私にとって、大切な価値観が育てられました。
メンバーとは、今でも定期的にランチをしながら
悩みや喜びを共有し合っているほどです。
これらの「愛情」や「友情」という基盤を、
しっかり受け取って過ごしました。
その後、地元の銀行に就職、結婚して退職。
「寿退社」
というバブル時代の女性たちに多かった
典型的なパターンの選択になんの疑問も迷いもありませんでした。
***
このように小さい頃から、「そのとき」までの私は、
そこそこの努力で
ほどほどに幸せな日々
を手に入れていました。
私の転機となった、「そのとき」とは出産でした。
2000年10月18日。秋晴れのすがすがしい日。
夫とふたりで、
「早く会いたいね。男の子でも、女の子でも
どっちでもうれしいよね。」
いよいよ待ち望んだわが子との対面が近づくと、
希望と不安。様々な想いが入りまじっていました。
破水し、入院して12時間後。
「そろそろ分娩台に移りましょう。その前にトイレにどうぞ。」
助産師さんに告げられて移動したトイレの中で、
激しい陣痛がやってきました。
と、そのとき…
(あれ?どうして動かないんだろう?)
自分の体の右側に全く感覚がない。
(まずい。これってすごいことが起こったのかも…)
異常な事態だと、意外と冷静に考えられるものらしい。
入院していた産院から、
救急車で搬送された総合病院。
(なんだかドラマみたいだな…)
自分の身に起きたこととは思えなかった。
その間、陣痛の激しい痛みが続きながらも、
意識ははっきりしていたので、
(赤ちゃんだけは、早く助けて!お願い!)
心の中で叫びつづけて、意識が薄れていきました。
私がICU(集中治療室)で目を開けた時、
沢山の機械に囲まれていた。
どうやら生きているらしい…でも、
そこにいるのは、今までの私ではありませんでした。
意識が戻ったとき、
私は主治医にこういったそうです。
「わたし、これからどうなるの?」
この言葉をきいて、
私の意識や言語は保たれていると安心したそうです。
でも、右半分の体がまったく動かないまま
…脳出血による右マヒの後遺症が残りました。
看護師さんが、ベッドサイドで赤ちゃんの写真を見せながら、
「元気な女の子ですよ。」
そう、伝えてくれました。
(よかった。元気だった。早く会いたい、抱きしめたい…)
病室の壁に張ってもらった、赤ちゃんの写真が心の支えでした。
一般の病室に移って、
やっと我が子との初対面の時がやってきました。
「ママー。お見舞いに来ましたよー。」
看護師さんに抱かれて赤ちゃんは、やってきました!
「かわいいっ。」
私の動く左手の中にそっと乗せてくれた、ちいさな宝物は、
あたたかくて、いい香りがしました。
すぐに、となりで気持ちよさそうに眠りはじめたのです。
「やっぱり、ママと一緒だと安心するんだね。」
そういって、撮ってもらった初めての写真。
初めて出会った日の、幸せな一コマを忘れることはないでしょう。
いつでもこの子のそばにいたい。
離れていちゃいけない。
だって私は母親なんだから…
とにかく、早く家に帰って家族で過ごしたい。
その必死な気持ちで過ごした4か月間の入院、リハビリ生活。
日がたつごとに現実を知るのです。
どんなことが自分に起きたのか…
右の手足が動かないっていうこと。
ただ単純に、片手、片足だけの生活が待っているだけじゃなかった。
起き上がること、立つこと、歩くこと
食事をする、歯を磨く、文字を書く・・・
できないんです。
あたり前のことがあたり前でない。
「いままでうれしかったこと、どんなことがある?」
と聞かれて、
「一人でトイレに行けたとき!」
そう答える人っておそらく、いないと思うのですが。
私には今でも忘れられない感動でした!!
トイレに一人で行けない。
これほど屈辱的なことってないです。
起きている間は、すべてがリハビリ。
立ち上がって、
歩けるようになると病棟の廊下をひたすら歩き、
とにかく動く左手ではしを持ち、字を書き…
日中は意欲的に頑張っていても、
夜は一人になると、病院の天井をみつめて毎晩涙しました。
(家族が待っている…)
みるみる回復し、自分の日常生活は、ほぼできるようになり、
念願の退院です。
つづく