できるかな
信者的なファンがこの期に及んで擁護していると言われたらそれまでなのですが。でも小林賢太郎は私が日本で1番敬愛している人なので、あの一部分だけを取り沙汰されて悪者になってしまうのはとてもじゃないけど耐えられないの。見苦しいかもしれないけど、読んで。
フックにするだけには、言葉選びが本当に悪かった。
やっぱり20年前のサブカルは「尖ってるのがカッコいい」みたいな風潮があったと思う。私は94年生まれなので、正直その頃のサブカルは、幼稚園児とかだったから分からないんだけどさ。でもコーネリアスの1件とかさ、コバケンの過去のインタビューやコントを見るとなんとなくそういうものを感じる。それは私もめちゃくちゃに気持ち悪いと思う。彼らは変に頭が良くて、「ブラックユーモアとかも言っちゃいます、俺」という、自意識過剰な感じ。
でも小林賢太郎はちゃんと反省して、2000年代になってからは人を傷付けない笑いを心がけているのが分かります。作品やインタビューを見れば一目瞭然。
彼は7年前に「僕がコントや演劇のために考えていること」というタイトルの本を出版されました。
これの21ページにも、ちゃんと書かれているので引用させて頂きますね。
身体的または能力的にネガティブなところにふれて笑いをとろうとする人がいます。年を多くとっていることや、見た目の悪さ、能力の低さ、何かが下手、失敗、など。僕はこういう笑いは自分の作品に使わないようにしています。他人の失敗や欠点などにふれて笑いにすることは、対象になった人を傷つけやすいため、危険なことでもあるからです。
(中略)
自分も他人も傷つけない、僕はそんな笑いを心がけています。
また、62〜63ページからも引用させて頂きます。
「激しさ」や「極端さ」が、力のある表現とは限りません。「人が死ぬ」「大事件が起こる」「極端な非日常」、これらは事実として強い出来事です。コントや演劇に持ち込んでも、その強さは必ず事実以下になります。だって、舞台上にあるものは事実ではないのですから。だからあつかう場合は、それ以上のドラマを盛り込まなければなりません。もちろん世の中には「戦争」や「不治の病」などの強い事象をあつかった名作はたくさんあります。それはすでに実力が備わった表現者のなせる技なのです。筋肉もないうちから、重たい武器なんてあつかいきれっこないのです。
(中略)
言葉選びにも言えることです。強い単語を使えば強いセリフになるわけではありません。とくに、極端で品のない言葉や、グロテスクな言葉、差別的な言葉などは、人を傷つける可能性もありますので、僕は使わないようにしています。
本人が仰っているけど、本当にこれなのよ。あのコントはまだラーメンズを結成して2年そこらでさ、相方の片桐仁は「若気の至りでは済まされない」と謝罪しているけど、若くて、勢いに乗っていて、当時は「ちょっと不謹慎なくらいが面白い」みたいな風潮で、コントのフックになるようなワードで尚且つストーリーにも沿うものがあの単語で、それが当時の彼では扱いきれない程の重たい武器だった。それだけ。
そりゃコントの題材がまるまる1本ホロコーストってんなら大バッシングも分かるんだけどさ、あの会話劇の1回しか出てきていない単語を、そんな鬼の首を取ったように嬉々として槍玉に挙げんでもねぇ、と1ファンは思ってしまうのです。
私は当時の尖ったコバケンを目の当たりにしていないから、壮年の落ち着き始めたコバケンしか知らないからかもしれませんが。
私は賢太郎さんが強い表現をするのが本当に苦手で、1度観劇後のアンケートで苦言を呈した事があります。カジャラの#4で加藤啓さんが出演された時です。
テレビゲームをしているニート役の加藤さんが、画面に向かって「死ね、死ね死ね」と独りごちるシーンがあったのです。正直加藤さんのことは存じ上げなかったのだけど、ニート役という事でグレーのスウェット上下にボサボサな髪の毛、少し斜視っぽい虚ろな目、そして「死ね」というワード、明らかに加藤さんは舞台上で異質な存在になっていました、今思えばそう感じたのは私だけかもしれないのだけど。あまりにも存在が強すぎる、人を笑わせ楽しませる"コント"という場にはそぐわない、私はそう感じました。そしてそれを素直にアンケートに書きました。怖かった、と。アンケート用紙の裏まで使って、劇場内の最後の1人になるレベルで時間をかけて真剣に書きました。今思えば嫌な客です。自分から「観せてください!」と赴いたのに、「なんだよこれ、怖いわ、そんな強い言葉使うなんてショックだわ」とクレーム紛いな事を言って帰ってさ、最悪だよね。
頭では分かっているんです、賢太郎さんは「加藤啓なら画面に向かって死ねと言いそうだな」と思って台本を書いたことくらい。私は、賢太郎さんがまずキャスティングして、その顔ぶれに合う台本を書くことを知っていました。私より絶対に賢太郎さんの方が、加藤啓さんのこと知ってるもん。「きっとこいつが言ったら面白いだろうな」とニヤニヤしながら台本書いたんだろうなぁ。でも実際は全然笑えなかった。その1回くらいかな、彼が書いたコントでシンドい思いをしたのは。
私は小林賢太郎の活動をリアルタイムでずっと追っていた訳ではないけれど、でも多くの彼の著作物に触れてきて、なんとなく感じるのです、ここまで世間から非難されるような倫理観の無い常識外れな人間ではないと。もちろん彼が年を重ねたというのもあるけど、20年前よりコンプライアンスがどうのこうのと厳しく言われるようになって、コロナ禍でみんな我慢を強いられる生活をしていて、それでもオリンピックは開催される、選手の皆様には申し訳ないが正直、大なり小なり不満を抱くのは当然のような気がします。そこへクリエイター達の過去の問題発言だ、そりゃ叩きたくなる、分かる、でも怒りの矛先間違ってない?その発言を非難できるのは当人達だけじゃない?そんなにみんなで寄ってたかって1個人を叩いたら潰れちゃうよ、木村花の時に何を学んだのよ、我々は。
私は小林賢太郎というクリエイターが本当に本当に好きです。けれど彼の全てを肯定するイエスマンなファンにはなりたくない。まずは作品を最初から最後まで観て、ちゃんと違うと思った事は違うと、言葉遣い丁寧に、決して彼の人格を否定する事なく進言したい。それが私の理想のファン像なので、そう振る舞っているつもり。
あんな10秒くらいの切り取り動画だけ見て分かった気になって、罵詈雑言浴びせるような人たちはメディアに踊らされているだけの単細胞なので耳を貸さなくて良いかと。まずはあなたのメンタルが心配です、どっしり構えているようで実は繊細な心をお持ちかと思うので。また森に引きこもってしまうのではないかしら。リアルうるうびとになっちゃうわね、って笑えないっての。