〜3話 ネットワークビジネスでの栄光〜
◆ ネットワークビジネスしかなかった私◆
傷心の中、仕事があって本当によかった!と、仕事に没頭して行ったのです。
全てを忘れるために仕事に没頭した私は、気付けば和歌山県の代表となっていたのです。
一番若く、一番経験年数が少ない私がいきなり県下のトップに立ちました。
周りのみなさんが私のことをめちゃくちゃ心配してくれました。
女性の世界ですから、妬み嫉みやいろんなものがあったのは事実だったのです。
他県でも多くの方が代表になりながらも、いろんないじめや虐げられていたのを見ていた中で、私より年上の方ばかりの中、私は可愛がっていただき、成績は鰻登りだったのです。
悪いことも有れば良いこともあるのです。
ふと振り返ると、3年で会員数が一気に10倍になっていたのです。
その時の私の成績は新規獲得者数日本一はもちろんのこと、世界ランキング7位に輝いていたのです。
私がトップに立ったところは、元々、少数精鋭だったのですが、これからは絶対人数だと思い、どんどん新しいメンバーに入っていただく戦略が大当たりしたのです。
どうしたらそんなに人が集まり、人が増えるのかと、本社から、社長を始め見学に来たい方が順番待ちとなっていました。
アルバイトも就職もしたことがなかった私。
これを仕事というならば、仕事ってなんて楽しいんでしょう!
そう、その頃の私は輝いていたのです。
人生で初めて自由で輝きを取り戻していたのです。
両親が私のネットワークビジネスを非常に応援してくれました。
今考えたらありえないのですが、親ももしかしたら引け目があったのかも知れません。
私は数字を見るのが大好きで、ずっと数字を見ていると見えてくるものがあったのです。
33才でこのビジネスに出会い、楽しく楽しくやっていました。
代表になって5年目の年に120坪の土地を買って大きなセンターを建てました。
100人以上着席できるセミナー会場を作り大盛況でした。
15年間の間に、成長実額日本一に3回輝いていたのです。
海外旅行も毎年のように招待され、
ロサンゼルス、ニューヨーク、フロリダ、ハワイ、カナダ、イタリア、ドイツ、フランス、スイス、オーストリア、オーストラリア、ニューカレドニア、韓国等々の国を訪問したのでした。
断捨離ブームが始まった50歳の頃、こんな私でも時代の移り変わりを肌で感じ始めていたのです。
今までは全責任を私が取るという立場で前線でやって来た私。
今後そうもできなくなっているのを肌で感じていたのです。
楽しいからという思いだけでやって来たけれども、それだけでは通用しない、楽しかった仕事が楽しく無くなっていくのを感じていました。
一生できない仕事だと判断した私は、スッパリと辞める決断をしたのでした。
皆さんに不思議がられると思います。
なんで収入があるのに辞めるのかと思われるかもしれません。
でも、何かを始めるにしても、50歳前の私は限界に迫っていると思ったのです。
何かを始めるには何かを辞めなければ。
ネットワーク業界ではよく言われるセリフです。
それを私は単純に信じたのです。
今のままでは何にもできない、悩んだ挙句、スッパリ辞める決断をしたのです。
辞める時、権利収入が入るわけでもなく、権利を後進に全部譲渡しないといけないという特殊なシステムだったのです。
そう、私は多少の手切金をいただき、一文なしとなったのです。
一文なしの私。
その時までに築き上げた財産があったので、一文なしの私は数年間ぶらぶらと何もせずに過ごすことになったのです。
そんな時に母が,脳梗塞で倒れ、看病に明け暮れる毎日が始まったのです。
幸か不幸か、仕事を辞めていたのでそういう時間も取ることができました。
その看病疲れの時にまたネットワークビジネスに出会ったのです。
母の看病疲れと父の食事の世話等で の疲れで、何も食べられなくなり、何でも良いので栄養ドリンクみたいなものを飲みたい、なんでも、どこのでも良かったのです。
そこで、何年も前からいろいろ紹介されていた中から大手の会社を選びました。
ここでも、「何もしません。人には言いません。セミナー参加しません。いいですか?」
と念を押して登録したのです。
有名な大手のドリンク会社のネットワークビジネスの会社でした。
気づけばハマる私。
最初は仕事をやる気はないとダラダラしていたのに、気づけば負けず嫌いなのか、ある日、動き出した私は気づけば組織ができタイトルも収入も取っていたのでした。
系列関係なく大勢の方にいろいろたくさんのことを教えていただき楽しく活動することができました。
ハワイ、シンガポール、ブダペスト、ウィーン、ここでも何回も海外旅行の招待を受けていました。
このまま、また楽しい人生が送れる、これも権利収入になるのだと思っていた時に6ヶ月の業務停止。
これからどうしようと途方に暮れたのを覚えています。
なかなか人生は上手く行かないのです。
イメージしていた未来はここでもろくも崩れ去ってしまったのでした。
新規登録停止だったので、メンバー数は減ることはあっても増やすことができない期間が半年間もあったのです。
その当時のネットワークビジネス展開の仕方は治る効くは当たり前。
体験談のオンパレードが当たり前。
今では信じられませんが、それこそがネットワークビジネスの実態だったのです。
今でも守れていない会社がほとんどだと思います。
薬機法では56のワード以外は全て違反になるのです。
サプリメントで効果のあるものはありません。
その人に合ったプロデュースをする、その人に合った食事の補助としてプロデュースが出来なければ、サプリメントは何の意味もなさないものなのです。
そんなことも知らない私でしたが、業界全体もまた知らない訳だったのです。
それがネットワークビジネスの実態なのです。
業務停止前に私は沖縄のグループ立ち上げのために、沖縄に渡ったこともありました。
沖縄では新境地での新規立ち上げという非常にわくわくして楽しい毎日を過ごしたのです。
しかし、その生活もある日一転したのです。
何とDVを受けたのです。
言葉の暴力も実際の暴力もありました。
誰にも言えなかったのですが、この歳になって私は生まれて初めてDVを受け、お嬢で育った私に取って全てが初体験。
恐怖で私は何もできなくなり、何も考えられなくなって来ていたのでした。
このままでは何も考えられなくなる、と気づけてよかった!
これは何としても逃げなければ!
娘と息子が以前からすごく心配していて、仲間にも警察にも助けてもらったのでした。
その人は警察で今後和歌山に立ち入らないという一筆を書かされたそうです。
私の2回目の挫折はこんな形で幕を下ろしたのでした。
次回4話では、30年以上ネットワークビジネスを見てきて気づいた事、そしてこれからはどうやって自分らしく生きるのかを私なりにお話しできればと思います。
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4話へ続く
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●1話 人生には山も谷もある
●2話 人生が一転そしてネットワークビジネスとの出会い
●3話 ネットワークビジネスでの栄光
● 4話 30年以上業界を見てきて思うこと、そしてこれからは