#006 お寺2泊3日修行の旅
浜松市にある龍雲寺禅堂にて2泊3日のリトリート断食にきてました。
参加した目的は2つあります。
①春から仕事を辞めて心機一転。環境を変える中で、自分の心と向き合う時間がほしかったから。
②元々自己肯定感が低く、他人からの承認で承認欲求を埋めようとしてしまう心の癖が課題と感じていて、改善したいと思っていたから。
2泊3日の流れはホームページを見ていただくとして、今回残しておきたい記録が2つほど。2日目の朝の法話と茶道体験でのお話をいただいて、号泣事件発生(苦笑)
今朝の法話について
今朝の法話は「慈愛の心を持って物事を捉える努力をしなさい。」というお話でした。このお話に対しては、具体的エピソードが2つあったのですが、そのうちの1つご紹介しつつ、自分の気づきを残します。
ある女性が電車の中で走りまわる子供を見た時のこと。子供が電車内で何往復もうろうろしていたので、周りの大人は子供に対しても、その親に対してもイライラしていた。
でも実は、その子供のお母さんが体調が悪くなってしまい、お母さんのために子供は必死で空いている席がないか探していました。それに気づいた女性は、子供に声をかけてお母さんを連れてきてもらい、席を変わったということだった。
ちなみに、その女性が俯瞰して物事をみれるようになったのは、大学で手話サークルに入ったことがきっかけで、いろんな方とコミュニケーション取る中で視野が広くなったとのことでした。
子供の行いは、一見良いとは言えないことかもしれないけど、一歩俯瞰してみた時、その裏側に何か事情があるかもしれない。だから視野を広くもち、様子を見守ることの大事さをご教授いただいたお話でした。
なぜ私が心が動いたのか振り返ってみると、今まで物事に対して白黒思考で勝手に「〜あるべき」と視野が狭くなってたり、他人に対して思い込みを持ち、「〇〇さんはこうだから〜」と決めつけて接してしまったりすることが多かったなと感じました。
だからこそ胸に響き改めて反省し、少しずつ物事を柔軟に捉えられるよう日々生活していくと決めました。
最近は、仕事からも離れ、物理的に時間に余裕がでてきたこともあり、少しずつ心も柔軟になってきています。以前は、心や思考が揺れるグレーの自分自体も許せなかったし、他人も許せなかった。
でも、人はいろんな顔を持っているし、多方面から影響を受けて考えが変わるし、迷う時もあって、グレーな時もある。グレーだって、黒よりなのか、白よりなのか色々。
だからこそ、なぜそういう考えに至っているのか行動をしたのか、自他ともに観察しつつ、必要があれば対話していきたいと思います。
茶道体験のお話について
もう一つのエピソードは、茶道体験で亭主の方からのお話にとても心が動かされました。
その方は、親御様から厳しく躾けられて、自分が何がしたいか見失っていた時期があったことや、自己肯定感が低くなかなか自分が認められてない時期があったこと、またそれらとの向き合い方についてお話をいただき、思わず涙が止まりませんでした。
その理由は、「まさに今の私」だったからです。
「大人になって自分のやりたいことがわからない」
「自分に対して、常に”だめだ”と思い自己肯定感が低い」
去年の秋からコーチングを受け始め、セッションの中で知るのですが、このような傾向になるのは、幼少期の親子関係での心の傷が原因となるらしいです。
私が育った環境は、サラリーマンの父・専業主婦の母・5つ上の姉の4人家族です。いわゆる一般的な家庭。
ただ父が亭主関白といいますか、男尊女卑の思考がある人だったため、母が専業主婦であるが故に「稼いでないお前が意見するな」、「女のくせに」と虐げられる機会があり、子供の成績が悪いと母が父から叱られてました。(謎に父から直接怒られたことはない苦笑)
そんなこともあり、当時は母も子供に対して過干渉でした。友達の付き合いを制限されたり、スポーツ・勉強できて当たり前。
子供ながら、母が父に怒られないように自分なりに優等生であろうと、勉強・スポーツに力をいれ、児童会や学級委員長やなど積極的に取り組んでいました。
また、父に認めてほしくて、得意でもない理系の研究分野に進んだり、男性並みに稼げて仕事ができて女性でも認めてもらえる人間になろうとしていました。
いい学校に進学する・知名度のある会社に入ることが幸せだと、レールを敷かれた人生を歩んできたため、気づいたら自分が何がやりたことなのかとか、よくわからなくなってました。なので、物心ついた時から親や先生に褒められることばかり行動し、承認欲求を自分で満たすことができなくなっていました。
そもそも、人生は過酷で大変なもの。好きなバスケットも競技生活を大学生まで続けたり、バイオメカニクスの研究も大学院までやらせてもらったりしたけど、楽しいというよりはいつも辛い、苦しい、しんどいという気持ちが多く、時々成果がでれば嬉しいというそんな感覚でした。
とは言っても、もう過去のことだし、親のせいにしても何も始まらないので自分でどうにか行動するしかない。そんなこんなで、以前から漠然と心が不安定だったこと、対人関係が苦手だったこと、人の目を気にしがいがちだったことなど、なんとなく「普通」ではないと気づいてはいて、心理学の本を読み漁り自分で解決できないか考えていました。
ですが、自分ひとりではどうにもならなかったので、コーチングを受けながら、自分と向き合う時間を作っています。
コーチングを受けるまで、親との関係で心に傷があることを認めること、「心が未熟である」ということを他人に伝えることが恥ずかしいと思っていました。
まあ、別にわざわざ他人に伝える必要もないんですが(笑)、弱い自分がいることも事実だし、それも自分だな〜〜〜〜!と最近は思えるようになり、あっけらかんと話せるようになりました😌不完全な自分を絶賛受け止めキャンペーン中です。
てか、キャンペーンは一生終わることなく、生きていたら「常に」不完全ですよね。だからそんな私も「可愛げあるじゃーん。」と思って認めて、不完全な部分を周りの方・物・制度に助けてもらったら、感謝していこうと思ってます。
亭主の方のお話を自分なりに咀嚼すると、今やることは「破壊と創造」なのかなと改めて思いました。
破壊=勇気を出して今までのことを一度壊してみること。一度壊した中で、必要なもの・不必要なものが見えてくると思います。
今までの会社員生活で培ったものには、これからの人生でも必要なものと、手放すものがあると考えています。私自身今わかっていることは、「心身の知識」「体を動かすこと」は、これからも私にとってかけ甲斐のないものになるのではないかと、直感で感じています。なので自分の体を実験台として、ピラティス・ヨガをやりながら、どのように体と向き合ったら健康になるか探求しています。
また、創造=直感を信じて、心が惹かれることをやってみること。
これについては、まだまだ自分の中で掘り下げが必要ですが、私自身今わかっていることは、「旅」「お茶」「文章を書く」です。これは正直まだどうなっていくかわかりません。1年後ぐらいになにか見えてきたらいいなと思っています(笑)
お寺で2泊3日と短い期間を過ごし、私なんぞが言語化するとめちゃくちゃ薄っぺらいのですが、「生きるってシンプルだけど、難しい。」んだなと改めて思います。
他人からみたら「そんな事で悩んでるの?」と思われたり、いいなと思う要素を持ち合わせてたとしても、その人にとっては重大な悩みに育ってることが多い。なので、そんな痛みも含めてまるっと包み込める大きな人間になりたいなと思った1日でした。
あと、「泣く」という行動は悪いことでもないのかなと思い始めています。というのも、昔「女は泣けば許されると思っている。」「泣くのは弱虫がすること」と言われた経験もあり、泣く=ネガティヴなことだから、我慢しなくてはいけない。他人に弱みを見せてはいけないと思っていました。
ですが、今回心が動いて気づいたら勝手に涙が出ちゃってて、我慢という次元を通り越しちゃってました。案外、「心で感じるまま」でいいのかなとも思った出来事でした!
改めて、こちらを目的に参加した修行の旅。
①春から仕事を辞めて心機一転。環境を変える中で、自分の心と向き合う時間がほしかったから。
②元々自己肯定感が低く、他人からの承認で承認欲求を埋めようとしてしまう心の癖を改善しようと思っていたから。
こちらの目的に対して言語化できてない部分もありますが、自分の中では目的を達成し学びのある3日間となりました。
この学びを生活の中に溶けこましていくぞ🫡🌸
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