視る。
今日も今日とてコチラ。
第42輪 「痛みを持ち帰った者たち」
本編後、
ピエール=シモン=ラプラス
と
ジェームズ=クラーク=マクスウェル
のキャラクター、才能について
書かれていて。
「ラプラスの悪魔」
傍観者でいる限り、収束する真実を視ることができる。
「マクスウェルの悪魔」
傍観者でいる限り、分子の動きを正確に視ることができる。
何かしらの行動を起こすわけでもなく、目的も不明。才能から察するに「視る」ことが目的であり(略)、どこにも加担しないという意思表示なのかもしれない。
"傍観者でいる限り"
とか
何かしらの行動を起こすわけでもなく、目的も不明。
とか
どこにも加担しない意思表示
のあたりが
妙に、ほぉーーーーっ!
となりました。
第39輪 「顔の無い男」本編中でも、
この2人の才能について
分析されているシーンがあり、
そこでは
" この2つの才能で、確率存在の抜け穴を縫って行動しているのでは?
要するに、向こうに会う氣がなければ、会うことすら難しい。"
と予測されていたりします。
・・・面白い。
リィンカーネーションの花弁。
なんだかんだアプリで400ちょいのマンガを読んでみた中で、
今一番読めるのを楽しみにしているかもしれないです。
きになる方は、よかったらコチラからどうぞ♪
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