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『人生転換年表#3』レールからの脱線決意のきっかけ
私は大学卒業後、日系生命保険会社の事務員として就職した。当時女子職は主に一般職(男性総合職をサポートする仕事)が一般的だった。
会社入社数日で辞めたいと思った。
理由は
1.大学4年間で学び経験した世界と一般事務職の世界があまりにも違いすぎた(まぁ当然のこと)
2.15年ぶりに大学卒女子を採用で、二人(40代)以外は、同僚女子は全員高校卒、短大卒、専門学校卒で、最初「大卒」は嫉妬の嵐
3.「大卒のくせにこんなこともできない」と嫌味を面と向かって言われていた
当時は中途採用もない「終身雇用制」の中、転職することも難しかった。募集要項には「新卒採用」のみの時代。「一旦乗ったレールを踏み外すと将来はない」その重圧や不安から仕事を続けた。
気がつけば、その会社勤務10年目に入っていた。
その1「人生のレールの脱線決意」のきっかけ
25歳の頃、MBAをとりバリバリ働いている女性の特集をテレビでみて衝撃を受けた。当時90年代前半の海外のビジネススクールでMBAはまだ珍しかった。
この番組がきっかけで、「こういう道もあるんだ」と知った。
その2「人生のレールの脱線決意」のきっかけ
その数年後友人と行ったNYの国連での出会い。
NYの国連英語ツアーに参加し、ツアー案内をされたのは日本人国連職員女性。ヨーロッパからのツアー参加者からの数々の質問に対し、英語できちんと回答されているその姿に感銘を受けた。
ツアーが終わり、思わず彼女のもとに走りより、
私「すみません。日本人の方ですか?」
UN職員「はい」
私「ツアーありがとうございました。プライベートのことですが、質問してもいいですか。」
UN職員「いですよ」
私「どうやって国連で働いていらっしゃるのですか」
UN職員「長野の国立大学を卒業後、金融機関に就職しましたが、NYのコロンビア大学院で国際関係論を学び、その時UNでインターンシップをして、今に至ります」
この彼女の言葉が私の猪突猛進心を刺激した。
「よし、私も海外の大学院に行く!」と決めた瞬間だった。
躍動感のあるNYにも住みたいと思った旅だった。
そうは言っても、28歳の時、「仕事を退職する」決断は将来の不安できななった。
ある日、中堅社員社内研修で外部講師の方に出会った。彼女は当時40歳代で、大卒後就職した「伊藤忠商事」を退職し、「人材教育」へと転職されていた。
研修後、彼女に「退職」のことを相談した。彼女の助言は「今貴方が悩んでいるんだったら、退職しないほうが良い。時期ではない」だった。
迷いや不安がある時にそんな大きな決断をするべきではないと思った。
「覚悟ができていない」
給料を貰いながら、「人生の目標、やりたいこと」を実現する準備をし続ける決断した。そして、先立つ物は絶対に必要なので、よりいっそう節約心で貯金した。
積極的に外に出て、人に会うのはとても大切な経験だと思う。何気ない出会いが、その後の人生に大きく影響を与えるとはその時はわからない。
「一期一会」
冒頭の写真はNY。私の人生を大きく変えた都市。