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モロッコ旅③ 〜カサブランカからメクネスへ〜

【前回の記事】

モロッコ旅② 〜モロッコ入りと友人と合流するまで〜|YUMIKO @enman_ogawa #note https://note.com/yumiko_n/n/nfad896c56fdf


前回の記事で書き忘れた事があった。これは後進国、新興国または開発途上国と呼ばれる地域でかつ観光が重要な産業となっている国では共通する問題点だと思うのだが、観光客に対してのいわゆるぼったくりに関して追記したい。ぼったくり多発現場であるタクシー問題だ。

私たちはカサブランカ空港に着いてEXITの矢印に従って歩いていた。空港自体そんなに大きくなかったのですぐに出口に着いた。大きな荷物を持っているアジア人である私たちはすぐにTaxi? Taxi?と沢山の人から声をかけられた。危なそうだったので完全無視を決め込み、今度は案内板のTAXIに従って外まで出た。モロッコではクリーム色のタクシーにはメーターが付いているそうでこれに乗るようにとのるるぶ情報、しかしタクシー乗り場には白いタクシーしか無かった。そしてたぶんだが、そこにいた全てのタクシーは同じ会社の様に見えた。

Googleマップによれば空港からホテルまでは歩いて40分、2キロ弱の距離だった。試しにホテルがあるであろう方を見たが、心許ない程の灯でさすがに歩くのは怖すぎる…。やっぱりこの白いタクシーに乗るしかない。

私たち「To 〇〇hotel, how much?」

ドライバーさん「100ディルハム」(1100円)

私たち「What?!」(高いよ!!の意味)

ま、値切り交渉したのだが、そう決まってる!って事で100ディルハム支払った。う〜ん…絶妙な金額言われたな、それに他に手段がなさそうだったし。運転手さんは英語が話せて優しい方だったのでそれは大変良かった。

現地のタクシーに乗る時はぼったくりに気をつける必要がある。ここでは空港から乗るという選択肢が少ない状況だったので100ディルハムを受け入れたが、これは観光客価格だろうなと思う。タクシーはこの後も何度か乗ったので、実体験をその機会に書くことにするが、鉄則として必ず値段交渉を乗る前にしなければならない。

それでは本題に入ろう。

カサブランカを出発!

28日の朝、本来であればホテルからタクシーで空港へ向い友人と合流の予定であった。(この場合はタクシー代はいくらになったのかちょっと気になる。)友人と合流後、専用車でフェズ向かうはずだったが、前回の記事通り友人は飛行機に乗り遅れたので、ドライバーさんは直接ホテルまで迎えに来てくれた。我らがドライバーのハッサンである。

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ハッサンはアラビア語とフランス語が話せる。ハッサンがというかほとんどのモロッコの方は母国語のアラビア語とフランス語を話すそうだ。なるほどフランスに統治されていた時代があるのかと思い、Wikipediaでモロッコの歴史を調べてみたところあまりに複雑すぎてよく分からなかった!対フランスに関する歴史を言えば、1830年ごろからマグリブ(現在のモロッコ、アルジェリア、チュニジア辺り)への植民地化が始まり、度重なる戦いもあり徐々に欧州勢の侵略は進み、最終的には1904年の英仏協商条約によって「モロッコにおけるフランスの優越権」が認められ、歴史上ここからがフランス統治期となるたそうだ。

優越権!!初めて見た言葉であったが調べ直した所、私の勉強不足なだけで日本史にも出てくる言葉だった。ポーツマス条約において、朝鮮半島において日本はロシアに対して優越権を持っていた。すなわち、朝鮮半島で日本とロシアの利害がぶつかった時には日本が優先されますよ〜という事だ、そうだ。

【モロッコ史に関して、詳しくはこちらをお読みください⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎】

(1956年までフランスに支配されていたそうだが、)とある日の朝に移動中の車内でラジオからフランス語が流れた。ハッサンに聞けば、フランス語の習得は生きていく上で必須であり、その上で生活の中に溢れているので容易い事だそうだ。自国に居ながら外国語が話せないと商売に不便があったり高等教育が受けられず、生活に支障をきたすなどと日本では考えた事など一度も無かった。

島国で育ち創られたごくごく当たり前だった価値観が単なる狭い世界の1つでしか無かったと知れる体験こそが、旅の何よりの醍醐味である。

つくづく思った。日本語でかなり高度な専門学まで学ぶ事が出来るが、それは凄い事だ。日本で研究されている、もしくは誰かが日本語に翻訳して、膨大な量の情報となっている。これは全ての言語で行われている事では無いのだな〜と、情報社会の裏側の誰かの努力を見つける事ができたし、日本語スゲーなって思った。

すると、化学者である夫は、(今は仕事で電池の研究をしている。)

「電池に関する論文は、英語で検索すると日本語の何倍も出てくるよ」と、教えてくれた。

…もっとスゲーものを知ってしまった。

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フェズまでの道のり

余談ばかりで申し訳ないです。

カサブランカからフェズへ向かうには、まずは海側を北上しラバトへ向かう。ラバトから東に進路を変えメクネス、フェズへと進んで行く。朝の9時にカサブランカを出発したのだが、メクネスまで大きな街を3つ4つ超えたと思う。特に有名な街の名はモハメディアで、5階建てのコンクリート製のアパートが立ち並ぶ様な近代的な作りだった。道すがら、小さな町もちょこちょことあり、こちらはレンガ製の2、3階建ての建物がかたまって集落となるような景色も見れて、いよいよアフリカ大陸の旅が始まったなと感じた。

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そして、とても悲しい現場も目撃した。これはエジプトでも同様であったのだが、生活ゴミの不法投棄である。小さな町の外れにはゴミ畑が出来ていた。そこには沢山の鳥がたかり、とても不衛生に見えた。実際、バケツに入れたゴミを女性が捨てる瞬間も見た。プラスチックの人工的な赤や青は遠目でも凄く目立ち、これらはこの先どうなっていくのだろうか?と、ちょっと前に読んだマイクロプラスチック問題の記事の事を思い出していた。

モロッコで買い物をするとレジ袋はプラスチックではなく、不織布製のモノを手渡される。モロッコは世界で2番目に使い捨てプラスチックの使用禁止を決めたそうだが、その政策がうまく行くと良いなと願う。プラスチックに関して、日本も大きな問題を抱えているので、この景色は私自身のものである。

ラバトを過ぎると…

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カサブランカからずっと海側を走って来たわけだが、ラバトを過ぎると進路は東に変わる。すると景色はいよいよ緑が増えてくる。山とは呼べない小高い丘の様な地形が幾つも現れて、大地がうねっている様に見える。放牧している羊の群れがのんびりと草を食べていた。木が生えているのだが、面白い事にほとんどの木が皆一様に地上から120センチ位の所までの幹の色が変わっていた。

なぜか?とドライバーに尋ねたが、英語が通じず会話が出来なかった。完全に私の憶測だが、あれはきっと羊が食べてしまったのだろう。



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