明日館にて登壇(居場所について)
本日は池袋にある明日館講堂にて
「子育てすくすくフェス in 明日館講堂」にて登壇してきました。
(婦人之友社・東京すくすく(東京新聞)共催)
こまちぷらすを特集いただいた別冊婦人之友発売記念のイベントでもあります。
私は第三部でしぜんの国保育園smallvillage 園長 齋藤美和さんと
別冊婦人之友の編集長の山下さんと一緒に
居場所についてお話をしました。
登壇中だけでなくその前後打ち合わせにいろんな話が出ました。
ここではそのオフショット的な話も含めて書き落としておきます。
■どんな保育をするか迷い続ける
齊藤先生も「どんな保育をするか」ということについて
常に揺らぎ続けること、迷い続けることが
できる組織を目指しているとおっしゃっていました。
それを迷わなくなったら、楽だけど、こども主体には
ならないだろうと、、、大変共感です。
■自分が空っぽに。
子育てや介護などもそうですが誰かのケアを一生懸命しているうちに
「自分がからっぽ」になってしまうときがあります。そんなときの話もしました。
母、妻、娘、、、と役割が自分の器でいっぱいで、あるとき自分がやりたいこととか、「これならできる」と思うことが、自分の中から一つも出てこなくてそんな自分にどういうわけか涙があふれてくる。何一つうまくできない「わからないことだらけ」という状況がより、できると思えることを削っていってしまうのですよね。私もその記憶がありますし、そんなシーンにたくさん出会ってきました。
ただそれは区役所に相談に行く話ではないし
出口が何か、どうしたいのか自分ですらわからない。
この空虚感が子どもだろうと大人だろうと高齢者だろうと・・
地域に居るとたくさん感じます。
■つながりが大事といわれても、それができなくて苦しい。
人との関係性が大事といわれても、関係性をつくっていく自信も
うまくいかなかったときに修復する元気もないときは
最初からあきらめたくなります。つながらなきゃいけないことが逆にプレッシャーになって八方ふさがりになってしまう。
■つくっていきたい場はこれらのときでも、
「足がむく場所。」「ただ居れる場所。」
何かやりたいかもと思ったときに
「最初のステップが踏める場所。」
だから、デザインを大事にしている、
という話が、齊藤さんと共通していました。
「母親」「父親」と役割に向けた場になった瞬間にこれなくなる人たちもいる。
その「母親らしく」の中で振舞わないといけないと思う場、ピンクやオレンジの場、可愛い名前の場がなにか窮屈でいけない、という人たち「も」いる。
でもそういうことは、言葉にしづらい。かつ、他に行きたい場所や行ける場所があるわけでもない。
罪悪感とか、空虚な感覚とか、「なんとなく行く気がしない」という背景にあるこういう感覚への想像なしに政策やサービスがたくさん増えてもなかなか利用につながらなかったりするので、このあたりの部分はじっくり感じ取る必要があります。