ワークシェアを考える時の4視点
こまちぷらすは、所謂ワークシェアをしています。
50人近くいるメンバーは、月1―2日程度働く方、一日4時間週2日働く方、業務委託でプロジェクトベースで働く方、一日6時間程度週4日働く方、時間帯も時間の区切り方も部署によって多少揃えていますが、結構いろいろです。最近は在宅勤務も組み合わさり更に複雑に。
そのワークシェアが成り立つためにはいくつかのポイントがあります。
情報共有(点と点)
一つは、情報共有。
例えば、午前と午後でカフェで働くメンバーが入れ替わるのですが、申し送りといったような事項もあります。朝の朝礼一回で済むのではなく、午前でもいろいろとあるので、いろいろと整理をして午後に申し送りメモ残したり伝えたりと手を忙しく動かしながら日々カフェスタッフがやってくれています。その午前午後という一日の中だけでなく、その次の日への申し送りもあります。同じ人が毎日入っていればその人に共有すればよいことも言語化し、残す必要があります。これが、時間かかる。そしてなくすこともなかなかできない。毎日いらっしゃる人によって景色が変わるカフェという場を作っている以上、どれだけ平準化しても残る部分があります。
カフェのみならず事務方も同様。誰がどう動くと固定化すると動ける時間帯がみんなそれぞれなので、共有しておかないと問合せに対して答えられない、休みがでたときにカバーに入れない等いろんなことが起きます。すべて共有するとその文字化だけで一日が終わってしまうので、全体は月1最低限の共有をしつつ共有の範囲を数段階に分けて動いているチームもあります。
法人全体でもそうです。毎月のミーティングに向けてワード数ページにわたる全体共有ファイル、数値化できるものを数字に落とすファイルがつくられます。みんなそれぞれどう動いているのか、そこに文字や数字で把握し、関心もっている部分は詳細読み込み、ない部分はさらっと読み流すと多少の濃淡はあるのですが、上の絵のようにそれがマステのように互いに共通で話せる話題になったり、あの人にこの情報有益かもと伝え合ったり、結果いろんな架け橋になっていきます。
何をよしとして何をよしとしないか議論(線)
もう一つは、何をよしとして何をよしとしないか議論。
例えば同じ業務を人が入れ替わって日替わりで実施するので、昨日と今日では違う人が特定の同じ業務をしている。目の前で起きる事象に対して「それはこまちとしてありなのか?」「なしなのか?」みたいなことでちょいと立ち止まって考えることがあるのですが、それをどう判断して解消していくか悩むことが無数にあります。一人の人が毎日たっていればそれはその人の判断軸でなんとなくつくっていける部分があるでしょうし、2-3人でまわしていればなんとなく阿吽の呼吸みたいなものがあるのですが、メンバーが多くしょっちゅう入れ替わると、これがなかなか迷います。
これを可能な限り楽に決めていこうとすると、下手すると無数のルールの乱立が起きます。ルールは迷う余地がなくなるのでいっときの気楽さと安心を生む分、今度はルール外のことが起きたら次の混乱が生まれます。そしてまた次のルールをつくろうとします。ルールをいかにつくらないかとの闘いをしないと、一瞬にしてルール祭り。また、こうしようと決めてもまた変えていく勇気を持たないと人に向いた場ではなく、ルールに向いた場になってしまう。
このあたりは、お客様やスタッフがどういう状況で何に困っているのか何が起きているのか、そこから考えてその時の最善を選んでいく。ケースによって答えが変わるから、都度ゆるっと決めてゆるっとはみ出す。みたいな心構えが大事です。その立ち戻るときのキーワードの明文化、クレドづくりが今年のこまちのチャレンジです。
「人」に焦点をあてて考える余地を生み出すために、こまちでは、メニューはあらかた決めておく、その手順や工程は分単位で、コンロ単位で明文化して置くということをしています。時間内に、安心して食べてもらえるものを最上の感動が生み出せるよう毎回違うチームでつくるというのは並大抵なことではなく、その細部だけでも考えねばならないことがあります。そこはある程度固定することでそれ以外の創造性、人に関する部分に注意や関心が向けられるようにということをしてきました。それをしなかった時期も団体立ち上げてまだ色々と定まっていない頃ありました。その結果、何の創造性をどう高めるかの軸が揺れて現場は混乱しました。これはワークシェア故起きやすいことだということも後から分かりました。
一つの場としてのストーリー(面)
また、一つの場を一つのストーリーでとらえて、共につくる、共に考える時間をとる必要があることもポイントです。ワークシェアをすると業務を分割していくことになるのですが、そうするとあたかも自分が「部分」になっているような感覚になることがあります。
車の部品をつくっていても、後工程のことまでは想像できても完成車となってどんな笑顔でどんな思いでこの車を手にしている人たちがいるか乗っているのか忘れてしまう、そんなことが私自身も工場に数か月いたときにありましたが、部分だけでも一生懸命になる要素がいっぱいあるのでその時は精一杯です。でもどこか空しくなりますね。
こまちではまだまだこの課題とも向き合っているところですが、月1はお店を閉めて手を止め、全体を知ったり考えたりする時間を意識的にとるのは、あるときふと自分が見えている部分と全体がストンと落ちて繋がる瞬間があるからです。人によってそれは様々ですね。また、日々の動きの中で適切なタイミングで適切なフィードバックができないとこれまた部分と全体がつながらなくなるので、組織として10人~20人を超えてくると代表やコアメンバーの動き方が変わらないといけなくなります。ここは実務を回しながらなので時間がかかり成長痛を感じながら進めるしかありません。
場を進化させる(展開)
最後に、そうした「今」の最適解を考えるだけでなく、進化していくというチャレンジがあります。ワークシェアをしていると正直「今」だけでもすり合わせ、議論する時間が足りないのでここまで回らない。でも、この一人一人が自分をアップデートして学び、次の展開を描くことを止めた瞬間、何か内向きな、自己満足的なものになってしまう。ふと気づくと今見ている範囲が恐ろしく狭くなっていることを認識できなくなってしまう。
ここを超えていくのは少々エネルギーがいりますが、「自分が今この瞬間考えている事を語る」「他の人が思っていることを聞く」「ありたい姿を一旦描いて語り合ってみる」そんなことへの時間をとることで進化していけるんだろうと思います。それは事業においても福祉においても教育においても何においても一緒なんだなと最近思う今日この頃です。
自戒の念を込めて。