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五重塔

八坂の五重塔。見るといつも思い出す小学校の時。

すぐ側に私の通っていた小学校があって(写真の左の薄茶色の建物)登校の時必ず五重塔の前を通って通いました。大きなそびえたつ塔に、当たり前の近所の建物のように毎日毎日見上げながら通いました。

家を出てしばらく歩くと三味線屋さんがあって、八坂の庚申堂の前から八坂の塔の前を通るのですが、今から思うとすべてが今の建物ではなく昔のままの町並みで、時代劇の撮影もよくありました。小学校へ行くもう一つの道は昔”文の助茶屋”がねねの道沿いにあり、お店に友達を迎えに行ったりもしました。寄ると大きな窯でお店の人たちが甘酒を混ぜて炊いてたりされていたのを見たりしました。今では見ることが出来ない懐かしい景色がそこにありました。

そんな町中にある五重塔は伝承によれば崇峻天皇5年(592年)に聖徳太子が建てたとされ、その際仏舎利を三粒収めて法観寺と号したといわれています。八坂の塔ということは知っていても、お寺の名前が法観寺と知っている人は少ないようです。

現存する五重塔は15世紀の再建ですが、創建時の塔跡に建てられていて、古代寺院に特有の地下式の心礎(心柱の礎石)が残っています。平安時代末期の治承3年(1179年)に清水寺と祇園社(八坂神社)との争いに巻き込まれて焼失したのですが、建久2年(1191年)に源頼朝の援助により再建されました。その後正応4年(1291年)に落雷で焼失し、延慶2年(1309年)に後宇多天皇の援助で再建。現在の塔は永享8年(1436年)の焼失後、同12年(1440年)に将軍足利義教の援助により再建されたものです。

戦国時代には、地方から上洛した大名が当寺に定紋入りの旗を掲げることによって、誰が新しい支配者・天下人になったかを世人に知らせたといわれています。歴史が長いだけに色々な話が残っています。

そんなすごい所なのに八坂の塔は内部に入ることができるうえに、塔の2層目まで一般人が普段から拝観で登ることができる日本唯一の重要文化財指定の五重塔。公開は不定期(寺院関係者の都合の良い日のみ)で10:00 - 15:00という公開時間も、天候や寺院関係者の都合等により早く閉鎖されることもあります。以前に私も入れた時に聞いてみたら、買い物に出かけたりしていていないときもあると言っておられました。突然行って開いている方が珍しいので、確実に拝観したい場合は事前に電話等で確認が必要です。貴重な建物だけに、入れるうちにぜひ見に行かれるのをお勧めします。6/13




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