西行庵と芭蕉堂
旅館の前の坂を少し上がると茅葺の建物が二つ続いて建っています。
一つは西行庵、一つは芭蕉堂。
西行庵ではお茶会をされていたりしますが、その名の通り新古今和歌集で代表的な歌人である西行法師がこの地で終焉を迎えた場所と伝えられています。明治になって荒廃を極めていたこの場所に富岡鉄斎が寄付を呼び掛ける文を書き当時の京都市長らの尽力により再建されて今に至っています。茅葺の母屋は大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したものです。茶室は北野の久我別邸より移された桃山時代の名席で圓窓床と道安囲の点前座が有名だそうです。
またこの建物の隣にあるのは芭蕉堂で江戸時代中期に松尾芭蕉を偲ぶために芭蕉にゆかりの深いこの地に加賀の俳人高桑蘭更が営んだことに始まります。芭蕉は西行を心の師としていたので、この地で先の西行の作歌を踏まえて”しばの戸の月やそのままあみだ坊”の一句を詠んだことから、この句を生かしてこの芭蕉堂が建てられたそうです。
西行法師に芭蕉の俳句の有名人にちなんだ建物がこの場所に建っていることはあまり知られていないように思います。よかったら足を延ばしてみてください。今日もいい一日を。9/24