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日の丸の由来

今日は国旗制定記念日だそうです。
1870年(明治3年)1月27日、日本の国旗を「日の丸」にすると決めた日です。
「商船規則」で決められた国旗の規格は、縦横の比率が「7:10」、日の丸が旗の中心から旗ざお側に横の長さの100分の1ずれた位置と決められていました。現在の日本国旗は、1999年(平成11年)8月13年に公布、施行された「国旗国歌法(国旗及び国歌に関する法律)」によって、縦横の比率が「2:3」で、日の丸の直径は縦の長さの「5分の3」で、日の丸の位置は旗の中心と決まっています。「白地に日の丸」は、徳川幕府が「日本惚船印」として定めたものを「商船国旗」として定めました。
日の丸にはお弁当箱の白ご飯と梅干からきていると聞いたことがありますが、実はこんな話があります。
“京の五条の橋の上 大の男の弁慶は長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる/牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へ上がって手を叩く”
この歌にある牛若丸の扇は日の丸の扇だったといいます。義経はそのまま壇ノ浦の戦いに出ていくのですが、その時源氏が平氏に対して掲げた旗は白地に赤の現在の日の丸でした。一方の平家が掲げていたのは、赤字に白の日の丸でした。源平合戦で平家が勝っていれば、日本の旗は赤字に白の日の丸になっていたかもしれないという話があるのです。
 源氏の後に出てきた武将たちは、織田信長も徳川家康もみな自分たちは源氏の流れを汲んでいるという意識を持ち、彼らは戦いのときには必ず日の丸の旗を掲げたと言われています。長篠の合戦は、信長も家康も家紋をあしらった自分の旗を持っているのですが、連合軍として戦うときは日の丸を掲げており、対する武田側もまた、日の丸を掲げていました。
つまり日本を支配するのは自分たちだと思ったときには、日本の国印、日本全体の国の印として、日の丸のイメージが武将の頭のなかに入っていたというのです。日の丸は突然出てきたものではないのだなと初めて知りました。
知らないこと多いなあと思います。今日もいい一日を。1/27

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