三好ヶ丘は、見上げたくなる街だった。 朝、駅までの通勤路でも 昼、よくピクニックした公園でも 夜、誰かと電話しながらあてもなく歩く道でも 無意識に見上げる隙があった。 陽の光に煌めく緑と空の青に見惚れていたのか、広い空に浮かぶ雲や星を眼の中いっぱいに映したかったのか、はたまた、 見上げるという行為そのものに対する心の欲求に従っていただけなのか。 それは、その時々で違っただろうし、 明確な答えを出すつもりもない。 だけどひとつ確実に言えるのは、 「見上げる」 は、三好
2022年最後の日、全ての葉を落とし、身軽なようにも寒々しいようにも思われる丸裸の木に、小鳥たちが集まっていた。車内には決して届くはずがないのに、ちゅんちゅんという鳴き声が私の鼓膜を震わせた気がした。いつもなら気に留めないありふれた車窓の景色が何故か特別に感じられるのは、大晦日が人間界では特別な日だからであって、昨日も同じように木に集まっていただろう小鳥たちにとってはただの1日でしかないんだな〜とぐるぐる思考が頭を巡る。 そして突如、こんな風に日頃から毎日を特別な日にできた
8月最後の日曜日。 青い空に鰯雲が浮かび、涼しい風が夏盛りの頃に比べて覇気を失った蝉の声を運んでくる。坂の上の木陰を歩くと、陽に照らされた眩い街景色が眼下に広がり、なんだか爽やかで気持ちよくて鼻歌を口ずさんでしまう。 夏の終わりの序章という言葉がしっくりくる、そんな日にひとり、豊田市美術館の「みる×かんがえる×つたえる」鑑賞会に参加した。 作品は、若林奮の「樹皮と空地ー桐の樹」(2002)。 20名ほどの参加者と50分間、1つの作品を通して繋がる。 名前も年齢も肩書きも
世界45ヶ国を巡った体験を綴ったユミカ旅行記。 その裏側あれこれをちょびっと記録。 かっこいい文章も添削もなく、ただつらつらと。 × COVID−19 就活が終わったら南米に行こうと思っていた。 さて、2020年6月、就活を終えた私に待ち受けていた現実はどうだったか。 憧れのキューバの太陽の下でバカンス!ではなく、家の畑の太陽の下で農業! 世界はコロナ一色、外出禁止、おうち時間。 大好きな自然に戯れる生活も幸せではあったが、何か刺激的なことを求めつつあった。 コロナ禍、自
先日、友人宅にて昼食を作っていた時、友人が起業を夢見る学生とオンラインで話していたので軽く耳を澄ませていた。 その学生が言った。 「これまで周りに起業家がいる環境じゃなかったので…」 私は、うわ〜これ就活で言ったら減点されるやつ!と思いながらも、なぜかその台詞が耳に残って、その日の夜まで離れなかった。 お風呂場にて、一日の汚れを泡に吸い取り洗い流すのと同時に、耳について離れないその台詞を少しずつ心に吸収し消化してモヤモヤを洗い流していった。 そんなある日のお風呂場での考察を、