日本文化の流れ。「村の文化」と「海の文化」村の文化は日本人独特の長いものには巻かれろ、世間体・学校や会社も仲間内も村です。日本の子供のいじめの問題も淵源は「村、村文化」です。

日本の文化に2つの流れがあると言われています。一つは「村の文化」。もう一つは「海の文化」。この「村の文化」というのは、いわゆる、「長いものには巻かれましょう」。日本では、「世間体を気にする」と言いますね。この世間体を気にするというときの「世間」というのは、実は村なんですね。社会ではないのです。ですから、村を出てどこかに行きますと、「旅の恥はかき捨て」なんです。日本国中、どこへ行っても、顔見知りの人がいないところは、もう世間ではないんです。

精神医学でも対人恐怖症というのがありますが、この対人恐怖症なんかでも、顔見知りが一番問題になります。見知らぬ人はあまり気にならない。つまり、世間ではないわけです。顔見知りでない人は世間の人ではないですから、恐怖の対象にならないんですね。日本人の心性の中にこの村意識というのは、現代でも強烈に根づいております。

学校や会社も村ですし、仲間内も村になるわけです。我々、日本人はこの村から排除されることを強烈に怖がります。いわゆる仲間外れになることが怖い訳ですが、それはこの「村文化」に生きているからなんです。この仲間外れを怖がる傾向は現代の青少年に強く見られる特徴ですから、現代の若者も村文化の中に生きていることになります。

我が国の子供のいじめの問題も淵源はこんなところにあるという印象を持っています。私の所には精神科の患者さんや、喘息・アレルギー性鼻炎・アトピー性皮膚炎とかのアレルギー性疾患の患者さんが主に来られるんですが、今までに一万人以上の患者さんが来られました。

その患者さんを見ていつも思うんです。みんな、真面目なんです。世間をみると、真面目な人も不真面目な人もいますよね。ところが、私の所に来る患者さんは、ほとんど不真面目な人はいないですね。みなさん真面目なんです。一万人くらい来れば、不真面目な方がいてもいいと思うんですが、ほとんどいらっしゃらない。

どうして、真面目な人が病気になるんだろうと考えざるを得なくなってきますね。そのあたりのことをコラムに、「遊びとまじめ」という題で書いたんです。

我々が日常的に使っている真面目というのを考えてみると、「周りに合わせる。世間の常識に忠実に随って生きる。日本文化に随って生きる」。こういうのを真面目と考えると思うんです。しかし、この日本文化というのがくせ者ですね。私が見るところ病気の原因になる
文化なんです。

すなわち、謙虚、ひかえめ、謙譲の美徳、奥ゆかしく、男は黙って、女は一歩退いて、人に気を使って、人に合わせて、自分が我慢して、でしゃばってはいけない、いい気になってはいけない、調子に乗ってはいけない、天狗になってはいけない等々、とにかく、一言で言うと「自分を殺せ」と言うのが日本文化なんです。

だから、真面目な人ほど自分を殺していますね。したがって、真面目な人は個性がないですね。しかも、消極的です。世の中、一つの組織を動かす人や、会社を引っ張っているような人は、だいたい、ずうずうしい人ですね。そして、図太い人ですよ。それから、常識にとらわれない人が多いですね。しかも、わがままでワンマンの人が多い。

こう考えると、今の世の中、いわゆる、日本文化から見て悪い人が元気なんです。いい人はあまり元気がない。病気になりがちなんです。結局、これを仏法という眼で見ますと、真面目で自分を殺すというのは、妙法の当体を殺しているわけですから、これは謗法になるんですね。妙法の当体である自分自身を輝かしている人は、実は、考えたら、図々しい人なんですね。

そうしてみると、たとえば良い例が某党の代議士。選挙の当選者インタビューなんかで、テレビを見ていると、なんと尊大と言うか、図々しい人が、大きな顔をして出ています。そういう人は元気です。勢いがあるんです。そして不思議に、福運があるんです。

一方、真面目な人は福運がない。「ずうずうしく、図太く、たくましくいこう」と、「口八丁、手八丁でいくんだ」とおっしゃいますが、それが正しいんですね。だから、今の世の中、「悪がのさばっている」と言いますが、悪がのさばっていることももちろん問題なんですが、「いい人が自分を殺す」という、間違ったことをしていることのほうが見えにくいだけに、もっと問題なんですね。

だから、これからは、真面目な人が、善い人が、思いやりのある人が、心優しい人が、もっともっと言いたいことをずけずけ言っていく。正義を主張していく。勢いを増していく。そうなっていくと、今のさばっている、自分さえよければいいという人達が、肩身が狭くなっていくでしょう。

そうなってこそ「人道的競争の時代」ではないかと私は思うんです。実はこの日本文化、真面目というのが、先ほどから言っている「村の文化」なんです。出すぎた真似をすると村八分になるんです。白黒はっきりさせる人は嫌われるんです。

「海の文化と村の文化」於保哲外先生の指導より。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?