やってみるから、わかる
将棋が面白い。最近になって偶然将棋を打つようになり、思いがけずさまざまなことに思いが及んでいる。将棋を知っていて良かった。昭和40年代に生まれた私が子供の頃、大人たちと混じって花札や将棋、ポーカーといった遊びをすることがちょくちょくあった。花札やポーカーのルールはすっかり忘れてしまったが、将棋の方はうろ覚えながら記憶にとどまっていて、それがこのたび生かされている。
最近私は、自分の父親ぐらいの年齢の男性と将棋を指している。看護師として働くデイサービスで、下手でも何でもいいから対戦相手になってくれと請われて、とりあえず座ってみたのが事の始まりだった。
「辛うじて将棋知ってます」というレベルだとその方へ断り、『先生』と呼ばせてもらうことにして、駒の並べ方のおさらいからスタートした。”飛車”の位置は右?左?、、あ、右ですね、じゃあ”角”が左、と。駒の五角形の形が45年ぶりの指に懐かしい。”王将”と書かれているのを私は『王様』と呼ぶのが、子供の時のままだ。パチン、パチン、と駒を置くうちに、ベニヤ板に黒マジックで線を引いて子供たち用にと父が製作した将棋盤が脳裏に蘇った。あの板の上で『将棋崩し』とか『挟み将棋』をよくやったなあ。
さていざ勝負が始まると、ひたすら突き進んでいこうとする私の駒の無鉄砲さが見えてきた。”歩”をどんどん前へ進めて”角”や”桂馬”といった飛び道具を使う算段しか思いつかなかったからだ。対して向こう側の先生の陣営はと言うと、陣地の中で”金”や”銀”が地道に動いて陣営を固めようとしている。手堅い先生と無鉄砲な私。身なりに先生の人柄が出ているように将棋にも品の良い性格が出ている気がして、では自分の性格や人柄も見透かされるかもしれず、自分の打つ手がいかにも心許なくなった。
私の陣営はあっという間に手薄になった。先生が容赦無く私の駒を次々と手中にしたのだ。そして私の陣地に侵攻して”成金”を産んでいった。ついに私の『王様』を必死で守る兵隊は、あと”金”と”飛車”とわずかな”歩”しかいない状態になった時、向こう側の先生の陣営は武士が勢揃いで、まるで徳川軍に見えた。磐石だ。
ところがだ。意外や意外、この勝負、先生の方が降参した。これ以上攻めることができないからあなたの勝ちだと。私の残り少ない駒が成している形は逃げ切るには最強だと言う。もう攻める手がないと言う先生に、そんな勝ち方もあるんですかと私は狐につままれたようだったが、そんな勝ち方もあるんですよと、先生が戦いの終わりを告げ、その日はお開きになった。
それから回を重ねるうちに無鉄砲なだけではなく『先を読む』こともするようになり、先日はついに「今日は将棋らしい戦いになりましたね」と、先生が満面の笑顔で帰って行くという嬉しい日が訪れた。将棋が楽しい、と初めて思えた日でもあった。
55歳になって何故だか将棋を指すことになった。人生のどこで何が役に立つものかわからない。今ここで将棋をしていることも、この先また何かの役に立つのかもしれない。そう思って将棋をしている自分を吟味してみる。将棋をしなかったら考えもつかなかったことが、あるはずだ。
勝負の間に何を考えているかと言えば、先の数手を読んで今の一手を決めること、相手の出方を何通りか推測すること、一手を見ながらも俯瞰もすること、目先の得に惑わされないこと、そして、諦めないこと。意外な展開がその先に現れる事もあるのだ。いつでもその時に最良の一手を潔く打つことを、自分の頭で考えて決めていく。
普段の生活の中で、仕事でもなく勉強でもなく、料理でも掃除でもない、こんなに集中する時間というのは思いつかない。一手を考えて集中している時間は、他ごとからは切り離されていて、まるで瞑想している時間のようだ。
そして、将棋を通して感じていることは、人生に通ずることでもあるように思えてくる。
将棋や囲碁。長きに渡り親しまれているこういった遊びは、人と向かい合って対戦する以上、自分の勝手だけではことが進まないことへの鍛錬のように見えてくる。どうすることが最良か?に集中して、うまくいかなければすぐに気持ちを切り替える。
将棋を打つなどと、デイサービスで働く前は考えたこともなかった。将棋を打ちながら考えたことは、5年前なら思いもしなかったかもしれない。将棋を打たなければ今の楽しさには巡り合わなかった。45年ぶりに触れた遊びが、『今だからこそ』の考えを呼び起こすきっかけになるのだから、人生は何がどう繋がるのか、その時にならないとわからない。やってみないとわからない。何度も感じてきたことを、また思う。