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[森美術館 ルイーズ・ブルジョワ展]親になることの危うさについて

森美術館のルイーズ・ブルジョワ展「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」を見てきました。

六本木ヒルズにある謎の蜘蛛のオブジェを作った方、タイトルからして女性なんだろうし、なんだか強そう。蜘蛛だし。。。というくらいの印象だけで行ったのですが、予想を覆されました。

冒頭から「あっ苦悩した人だ」とビシビシ伝わる作品群。特に身体の一部を切り取ったり、性的な表現のものが多く、自分の存在や身の置きどころに苦悩し続けたのだろうと想像できます。事実、両親との関係に悩み、トラウマを抱えながら、夫や子供達と向き合うことの恐怖や愛情の葛藤に悩み続けたと、解説文は読み取れました。

その中でも、「うっ」となった一説がこれです。

個人的な出来事として、つい数日前に友人から離婚を報告されました。直接的な原因は、旦那さんのモラハラ。暴力こそなかったものの一歩手前だったようです。挨拶程度とはいえ以前に何度かお会いしたときには、とても優しそうな印象でしたし、友人の仕事にもとても協力的な姿を見ていたので、豹変とも言える変わりぶりは、話を聞いてもにわかには信じられないでいます。聞けば、根底にあった感情としては「子供が生まれて、奥さんの興味が子供に向かってしまったこと。自分を見てもらえない寂しさ?ストレス?」が旦那さん(すでに元旦那ですが)の行動をおかしくしてしまったのではないか、とのこと。

そのような感情の揺らぎは、子供が生まれた直後の男性に起きがち、というのは聞いたことがあります。それまではふたりきりの関係性に、ある日圧倒的主役である子供が登場し、物理的にも精神的にもそちらに関心を奪われていく孤独…というのは、10ヶ月余りの妊娠・出産を経た女性から見れば、なんのことやらわからない感情でしょうし、一般的に見れば「子育てという一大事を前にして何を甘えたことを」「大人なんだから自分の感情は自分で処理しろ」などなどのツッコミが入りそうなものですが、肉体的に妊娠・出産を経験できない男性で、もしもともとの自己効力感が低い人だったとすると、なるほどありそうな、むしろ典型的な心の動きなのかもしれない、とも思えてきます。

でも、ルイーズ・ブルジョワの言葉で、生まれた時点で人は世に放たれた孤独な存在であり、そもそも誰かに守られたり、包み込まれて生きていくことなどできないんじゃないか、と気づかされます。自己を自己で完結させつつ、それでいて、家族という関係を構築して何十年も共に歩んでいこうだなんて、人間はなんて難題にチャレンジしているのだろう。モラハラやDVや、女性側には産後クライシスなんて現象もありますが、家族間での問題を抱えることなんて、むしろそちらのほうが当たり前の現象なんじゃないか。

私自身は、結婚も出産も経験せず、のほほんと両親の愛情に甘えてイイトシまで生きてきましたが、そういう人生になった背景には、誰か他人との強い関係性に対して無意識に恐れをなしているという要素もあると思っています。私こそがどちらかといえばモラハラ側になりかねない、家族の構築というミッションに対して、あまりに平和で無自覚だったがゆえに何も武器も教科書も持たない、というところに不安はあります。

ただ、ルイーズ・ブルジョワが強いのは、数々の芸術作品を生み出しながら、自分の中の怒りや孤独や葛藤を表現し続け、ある時からしっかりと自分に向き合い、91歳で亡くなるまで作品を意味出し続けたこと。晩年の作品には、葛藤を乗り越えたような、穏やかさも感じました。

代表作である蜘蛛も、私たちを包み込む母なる力強さや愛情の象徴なのかもしれません。六本木ヒルズに行くたびに「で、なんで蜘蛛なわけ??」とテキトーに見ていたのですが、これからは仏像を拝むように、強く生きた女性アーティストのことを思い出したいと思います。

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