続・バラマキが止まらない
もらえるって言うからもらうけど、これ本当に全部もらっても大丈夫なのかしら
なんのために配ってるのかもわからないけど
#ジブリで学ぶ自治体財政
愛知県岡崎市に続き,兵庫県丹波市でも市民全員に5万円を配ることを公約に掲げた市長候補が現職を破って当選されました。
6万数千人の市民に対する給付総額は35億円で,この財源として現市長が推進していた庁舎建て替えを取りやめ,この建設資金として積み立てていた基金24億円などを充てるそうです。
岡崎市での新市長公約に関する報道を聞いたときは,目的をもって過去から積み立てられてきた基金を取り崩して現在の市民の懐に入れるなんてひどい話だと思い,「借金をしていいのはどんな時」で少し意見を述べさせていただきました。
その後,この公約に対して選挙で票を投じた市民に対する揶揄,批判が高まったことを受け「わかっていないのは誰か」で,そんな公約を掲げた市長に投票する市民の目線に視点を移し,行政運営リテラシーが自治体運営のリスク要因であることを述べました。
今回の件でも似たような所感を持つわけですが,そもそもなぜ私がこのような公約を掲げることやそれがまかり通ってしまうことに違和感を覚えるのか,という点を書き表してみたいと思います。
岡崎市の例と丹波市の例の違いは,市民全員にお金を配るという公約は同じでもその財源として見込む基金の本来の使途であった庁舎建て替えの是非が市長選の争点であったという点でしょう。
「基金を崩してお金を配る」VS「基金を崩さずお金を配らない」という争点ではなく「基金を崩してお金を配る」VS「基金を崩して庁舎を建て替える」という二つの施策のうち,同じ基金を使うならどちらの方がいいかが争点として示され,市民が「お金を配る」ことを選んだ,と考えれば公約で明らかにした争点としての合理性は丹波市のほうがあるのかもしれませんし,市民もお金欲しさに新市長に一票を投じたのではなく,庁舎建て替えに反対という意思を表明したのかもしれません。
しかしそれでもやっぱりもやもやするのは,そもそも市民全員に5万円配るという施策そのものなのでしょう。
これは年間市税収入78億円,一般会計の予算規模336億円の丹波市で市税収入の半分,一般会計規模の10%にあたる35億円という金額の予算を使う政策,施策として,本当にそれが一番いいお金の使い道なのか,と岡目八目ながら思ってしまうところにあります。
丹波市の現状をよく知りませんし,今回の市長選の公約をつぶさに眺めたわけではありませんが,この市民への給付という政策,施策の目的はなんでしょうか。
その目的はこの給付によってどのように達成されるのでしょうか。
その目的はほかの方法によっては達成できないのでしょうか。
その目的を達成する他の方法と比較し,最も効率的,効果的なのでしょうか。
その目的が達成されたことをどの指標で測定するのでしょうか。
自分が住んでいない,関わっていない自治体の政策についてあれこれ口出しする権限はないのでこれ以上の言及は避けますが,私が一連の市民全員給付公約について違和感を持つのは,こういった政策議論の浅さが気になるからなのです。
我々が納めた税金の使い道を決める以上は,何のためにお金を使うのか,その目的は我々が実現したい事柄か,その目的達成のために選択する手段が適切か,といった政策への評価が必要ですが,そもそも市民目線でいえばそれぞれの施策事業の目的と手法の整合性や,手法そのものの妥当性について,自治体内部でしっかりと議論されていたとしても,それがどこまで市民の皆さんに伝わっているでしょうか。
そのうえ,「バラマキが止まらない」でも書いたようにそもそもこういうバラマキ施策は他人のお金だと思っているものが自分の懐に入るという個人的な損得勘定のおかげで市民の政策への評価,判断を鈍らせ,その結果,市民は政策に対する評価を十分に行わず「自分がもらえるならいい」と短絡的な判断をしがちです。
そうであるがゆえに,この手の施策は通常の政策,施策事業以上に客観的な評価軸を示し,他の手法との比較,他の施策との優先順位付けなどができるようにしたうえで,「自分がもらえて得だから」というような近視眼的,利己的な判断を市民がしてしまうことを避け,施策の目的やその実現手法,成果指標などについて十分に市民が議論し,共有し,判断できるようにしなければいけないと私は思っています。
しかし現実は厳しいです。
国民,市民は,将来の高邁な理想の実現よりも自分自身の現在の利得につながることに賛成しがちですし,政治家はそれを餌に票を獲得しようとします。
まして現在身を置く苦境が厳しいほど,利己的,短絡的な判断は顕著になります。
今回の騒動は,民主主義の限界を示したという見方もできるかもしれません。
今はまだ投票権のない将来の市民にどのようなまちを遺すかという責任を,現在の市民がどう感じ,どう果たしていくか。
「ありたい姿」から考えるバックキャスティングが,現世の目先の利益よりも優先することをどう常識として根付かせていくか。
「会計年度独立の原則」では,私たちは原則として、年度の収入で賄えないほどの臨時的なものを除いて、現在の自分たちが収める税金の範囲でしか行政サービスを受けられない、それが「財政民主主義」に基づく「会計年度独立の原則」なのです,と書きました。
しかしこの原則が逆に現在の市民が現在の税金の使い道をすべて決めてよいという利己的な発想につながったとき,財政制度として,民主主義の仕組みとしてどう軌道修正することができるのか。
あるべき論ではないこの問題への対処方策について,いずれ改めて筆を起こしたいと思います。
★「自治体の“台所”事情 ~財政が厳しい”ってどういうこと?」をより多くの人に届け隊
https://www.facebook.com/groups/299484670905327/
グループへの参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
★日々の雑事はこちらに投稿していますので,ご興味のある方はどうぞ。
https://www.facebook.com/hiroshi.imamura.50/
フォロー自由。友達申請はメッセージを添えてください(^_-)-☆
★「自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?」について
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
2018年12月に本を出版しました。ご興味のある方はどうぞ。