
養成所としてのふるさと納税
ふるさと納税の担当になりました
仕事は特産品のトウモロコシを売ること
公務員だから商売は苦手なんて
言ってたら農家さんに怒られちゃうわ
#ジブリで学ぶ自治体財政
先日、自治体のふるさと納税担当者を対象としたオンラインイベントに登壇しました。
ふるさと納税については、制度の趣旨も自治体での活用のされ方もずっと違和感をもっていて、年々過熱する返礼品競争や納税とは名ばかりの官製ネットショッピングと揶揄される現状に辟易していたのですが、そもそも自分がなぜこの制度にそこまで違和感を持っているのか言語化したことがなく、その違和感の正体をとらえきれていないことから、この際それをきちんと明らかにしたうえで制度の正しい評価を自分なりにしてみよう、と思い立ち、当日はそこをお話しさせてもらいました。
ふるさと納税は、人口が集中する大都市に比べて税源に乏しい地方の自治体においてその税源を代替するものとして、当該自治体の域外の住民から寄附を受けることを促進する仕組みです。
財政屋としてもっとも違和感があるのがこの「税の代わりに寄附金」です。
税と寄附金、同じお金でもその性質が全く違います。
私たち財政屋は、自治体の収入のことを「財源」と呼びます。
これは、すべての収入は何らかの支出の元手となるため、その支出経費に充てることができるお金として「財源」と呼ぶのですが、「財源」はその性質からいくつかの区分方法があり、税と寄附金はその区分がことごとく異なるのです。
まず、財源の種類として「経常財源」「臨時財源」という区分があります。
毎年必ず見込めるものを「経常」、必ずしも毎年見込めるわけではないものを「臨時」というわけですが、税はそのほとんどが「経常」、寄附金は「臨時」です。
経常、臨時の区分は、予算編成及び決算時にどの支出に充当することが適切か、という点を考えるときに必要になります。
収入と同様に支出にも「経常的経費」「臨時的経費」という区分があり、毎年必ず必要な経費を「経常」、必ずしもそうでないものを「臨時」と区分するわけですが、経常的経費には原則として経常財源を充てる必要があります。
というのは、臨時財源は毎年度一定額をあてにすることができないので、毎年必ず必要になる経費に充てれば不安定な財政運営となってしまうからです。
最近、ふるさと納税で得た収入で学校給食費を無償化する自治体が表れていますが、給食費という経常的経費にふるさと納税という臨時財源を充てた場合、もし今後寄附金が思うように集まらなければ無償化を維持できなくなり、再び有料化する、あるいは給食そのものを廃止せざるを得なくなるリスクがあるのです。
財源区分として次に注目すべきは、「一般財源」と「特定財源」です。
税はそのほとんどが「一般財源」として自治体の自由な裁量によりその事務事業の経費に財源として充てられますが、例えば国や県の補助金などの「特定財源」はその交付目的に合致した使途にしか充当できません。
寄附金は寄附者が特にその意思を示さなければ一般財源としてどの経費にも充当できますが、近年、寄附者にその使途を指定してもらい、その意思に沿う形で特定財源として充当するケースが増えています。
これは、ふるさと納税のもう一つの目的である「納税者意識の向上」と関係があります。
自分の寄附金がどのように使われているかを知ることで、寄附者が自治体の事務事業や財政構造に興味関心を抱き、ひいては自らの住む自治体で自分の納めた税金がどのように使われているかを知りたいと思うようになる、ということを国としては期待しているようですが、自治体の担当者レベルでは使途の明確化をすることで対象となる事業への関心を引き寄せ、寄附額を確保しようという意図を強く感じます。
最近では、ふるさと納税を財源として充てることを目的として、充当対象事業が拡大されたり、新規プロジェクトが立案されたりもしています。
本来は税収に代わる財源として寄附金を集める、つまり税(一般財源)で自治体の裁量として実施したい事業に充てるお金だったはずですが、寄附金(特定財源)で寄附者の意思に従う特定の事業を実施するというのは住民自治という地方自治体運営の本旨に適っているのでしょうか。
寄附を集めるために域外に住む寄附者の意向に寄り添うという傾向が進めば、そこで行われる事業は自治体の裁量から離れ、それは自治体住民の意向からも離れてしまうリスクがあるのです。
財源の区分については、「経常」と「臨時」、「一般」と「特定」ともう一つ、「自主財源」と「依存財源」という分け方があります。
「自主財源」は自治体が自らの意思で徴収、収受するもの、「依存財源」は国や県などから配分され、その交付について自治体の裁量が及ばないもの。
実際のところ、実務上は税も寄附金も「自主財源」と整理されています。
しかし、税は自治体が自ら賦課し徴収していますが、寄附金は寄附者の自由な意思によってしか収受できず、寄附者の意思に完全に「依存」していますので、税と寄附金を「自主財源」として同列に扱うことには非常に違和感を覚えます。
この寄附者の自由意思に完全に「依存」している寄附金を、法令に基づき強制的な権限で賦課徴収できる税の代替として位置づけられても、そのあまりの不安定さから財源として充当できる持続可能性に難があるというのが財政屋だった私の印象です。
この不安定さを払拭し寄附額の維持向上を図るために全国のふるさと納税担当者の努力は並々ならぬものがあります。
その努力の多くは返礼品の魅力向上という方向で進められています。
50%ルールの適用や地元産品の厳格化など後出しでどんどんルールが厳しくなる中で、自治体内では寄附額向上のハッパをかけられ、他の自治体と官製ネットショッピングでの売り上げ競争を強いられている担当職員の悲鳴が聞こえてきます。
ここに職員のマンパワーを割くくらいなら、税収そのものが上がるように産業振興策に注力し、住民の所得向上を図った方がいいのではないかとも考えます。
しかしながら、今回のイベントでふるさと納税担当者の皆さんの顔つき、目つき、仕事のことを語る口調を目の当たりにし、私のふるさと納税に対する批判的な意識が少し変化しました。
彼らは公務員の世界ではほとんど触れることがない、商売の世界にいます。
ニーズを把握し、市場やライバルの動向を読み、最小の経費で最大の顧客満足を得ること、それを継続するために不断の改善努力を怠らないことを日々実践しています。
私が公務員人生で経験することのなかった、民間なら誰でも経験する商売の世界を多くの自治体職員が仕事として経験している。
このことは、国が掲げるふるさと納税の目的には見当たりませんが、この制度の運用によって公務員が苦手とされる「商売」がわかる人材が多数育成、輩出されていることは自治体にとっては大きな成果です。
この実務で培ったマーケティングの力、商品サービス開発の力、情報発信の力、そして不断の改善を実行できる力は、ふるさと納税に限らず、あるいは商売の世界だけではなく、自治体が行う市民サービス全般を支え担う力として大変頼もしいものだと思うのです。
公務員には商売の経験のない経済オンチが多数存在します。
しかし、非営利を旨とする公務員だからと言って「経済のことはよくわからない」というのはまずいでしょう。
「経済」は、役所の外では誰もが従う社会の常識です。
世の中の大半の人はその常識の中で、市場を感じ、リスクテイクを考え、自分の時間と労力を投じて自分の食い扶持を稼いでいます。
その大原則をきちんと知らず、その中で生きている個人や企業の価値観を正しく理解せずに「お金のことに疎い」ままで社会を動かしていていいのか。
そのような観点から、財源偏在の是正措置としての機能には問題があることを引き続き認識しつつ、これまであまり注目されることのなかった、公務員の経済感覚を育成する養成所としてのふるさと納税制度を再注目したいと思います。
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★書籍を購読された方同士の意見交換や交流、出前講座の開催スケジュールの共有などの目的で、Facebookグループを作っています。参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
https://www.facebook.com/groups/299484670905327/
★日々の雑事はこちらに投稿していますので、ご興味のある方はどうぞ。フォロー自由。友達申請はメッセージを添えてください(^_-)-☆
https://www.facebook.com/hiroshi.imamura.50/