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何を目指すか何で測るか

3兆円もかけた大盤振る舞い
これが異次元の少子化対策だ
こどもが増えるかどうかは先の話
まずは本気度を示すのが大事
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
2024年10月分から児童手当が大幅拡充されました。

「異次元の」と銘打った政府の少子化対策の目玉としてこの秋から新たな制度が施行されるということで、昨日は報道もそれなりにありました。
現役の子育て世代へのインタビューなどで「拡充は大変ありがたい」という声もあり、一方で「この程度の拡充であればもう一人産もうとまでは思わない」といった声も報じられていましたね。
これらの報道を見ながら、いつものようにモヤモヤしていたことがあります。
それは、この児童手当大幅拡充が結局「何のために」行われるのか、目的が今一つはっきりとしないまま、それぞれの立場で勝手にその期待や効果についてコメントし、事態が進んでいること、また、目的がはっきり共有されていないまま事態が進んでいることについて、政治家の皆さんやマスコミ、有識者の方々がちっとも違和感を覚えている風でもでないことです。
 
今回の件が大きな目的としての「少子化対策」であることは承知しています。
出生数が減少し、人口減少が進む中、少子化トレンドを反転させるためにありとあらゆる施策を講じていく、その一つの方策であることは理解しています。
そもそも少子化の進行という現実に抗って、このトレンドを反転させることが本当に可能か、という議論は今回脇に置いておきますが、少子化トレンドの反転、つまり出生数の減少を食い止めることを目的に各種施策を打つとしたときに、この児童手当拡充という一手法がどのような効果を果たすと期待しているのか、という点が非常にあいまいなままで、「これで少子化が食い止められる」だの「この金額では焼け石に水で少子化を食い止めることはできない」などという評価を下していいのかと思うのです。
 
以前から私は、政策というものは社会に何らかのインパクトを与え、そのインパクトから生じる影響、変化によって解決すべき社会課題の状況を変化させるものだと主張しています。
では、児童手当の拡充は、誰にどんなインパクトを与え、その影響変化が「少子化」という社会課題のどの部分にどんな状況変化を与えるというロジックになっているのでしょうか。
児童手当拡充が少子化対策に全く意味がないと言っているわけではありません。
私が言いたいのは、そのロジックモデルは論理的整合が図られているのか、その確からしさを政策決定の過程で確認したのか、そしてそれは事後に検証できるのか、という点が極めてあいまいだと言っているのです。
「風が吹けば桶屋が儲かる」というロジックモデルはかなりこじつけ要素の強い演繹論法ですが、こじつけでない演繹論法で「児童手当が拡充されれば少子化が食い止められる」というようなロジックが通用するのか、政府はそのことについてどう公式見解をだしているのか、そのロジックはどのようなKPIで事後に検証できるようになっているのか、を国会議員もマスコミも誰も問わないというお寒い現状を危惧しているのです。

私なりに今回の児童手当拡充の目的やその期待すべき効果についての政府見解を理解しようと考えてみました。
昨年5月に政府が発表した「こども未来戦略方針」においては、少子化対策の三つの基本理念として①若い世代の所得を増やす②社会全体の構造・意識を変える③全てのこども・子育て世帯を切れ目なく支援する、ことが掲げられ、この基本方針を施策の柱として今後3年間に集中的に取り組む「加速化プラン」で具体的な施策が示されています。
そして、児童手当の拡充はこの「加速化プラン」に掲げるいの一番の施策として、児童手当について「次代を担う全てのこどもの育ちを支える基礎的な経済支援としての位置づけを明確化する」ために所得制限の撤廃、高校生世代までの支給延長、第三子以降の加算を行うと明言しています。
では、この児童手当拡充が少子化対策に効果を発揮すると判断できるのは誰にどのような変化が生じたときでしょうか。
児童手当拡充によってこどもは増えるのでしょうか。
 
「この程度の拡充であればもう一人産もうとまでは思わない」という意見はおっしゃる通りですが、政策評価の観点で述べるならば、今回の児童手当拡充はこどもをもう一人産んでもらうための施策ではないようです。
政府の方針によれば、児童手当拡充は「次代を担う全てのこどもの育ちを支える基礎的な経済支援としての位置づけを明確化する」ために行われるものですから、少子化対策に対する政府の基本姿勢を国民に示すフラグシップの役割を果たせばよく、あと一人産み育てるための具体的な経済支援でなくてよいと読み取れます。
したがって、この施策が所期の目的を達成したと判断できる状態変化は、出生数の増減で測るのではなく、あえて言語化するとすれば「少子化に対して国が本気になっている」と思う国民の数を測り、大多数が国の本気度を感じるように世の中が変化することなのだと政府は想定しているのではないでしょうか。
政府としては、そういった国の本気度の浸透を少子化対策への国民理解の礎にして、様々な施策を重層的に講じることで出生数の減少を食い止めたいと考えているのであり、児童手当拡充でもって少子化トレンドが反転するとまでは考えていない、そう資料から読み取るべきではないのかと思うのです。
それが「異次元の」という触れ込みと比較してどうなのかという話はさておき。
 
だとすれば、政府、与党が今行うべきことはその意識変化を測定するための現状、手当拡充に国民が期待している理由の把握とその変化を測る定点観測です。
加速化プランの終了する3年後に、国の本気度に対する国民の認識が変化したのか、その原因は児童手当の拡充によるものだったのか、を測定出来るようにしておかなければ、この取り組みそのものに効果があったのかを評価することなんてできません。
所期の目的を達成できたかどうかを測定する指標をあらかじめ特定し、定点観測により評価することで、例えば児童手当のさらなる拡充、あるいはまったく違う方向からのアプローチなど、次に取り組むべき施策事業の立案が可能になるわけです。
野党、マスコミもまた、この施策の成否を判定するために、事後の検証が可能となるよう現状や3年後の目標数値を質して答弁させておくべきです。
今回の拡充によって到達した給付水準が「全てのこどもの育ちを支える基礎的な経済支援」として適切な額だったのか議論を吹っかけても、そもそも「基礎的な経済支援としての位置づけを明確化する」することで国民の意識醸成を図ることを目指していたとはぐらかされては議論がかみ合いません。
政府与党が目指しているものを具体的に示させたうえで、その論理の矛盾や成果目標への到達度合いで、政策の当否について議論しなければいけないのです。
 
児童手当に限らず、政策の立案や議会での審議の過程で、施策事業の目的とそれが達成されたかどうかを測定する手法について言及せず、あとから勝手に効果があるだのないだの主張するのはフェアではありません。
施策事業を立案し提案する側も、その賛否を議論する側も、あらかじめ「目的」として期待する社会の変化とその「測定手法」は明確にしておいてほしいものですし、報道もそのような観点から取材し、突っ込んでいく必要があると考えています。
このたび、自民党の総裁が新たに選出され、総理大臣が交代しました。
新政権について国民に信を問うため、近々衆議院が解散されるようです。
私たち国民にとっては、国の政治に直接参加する貴重な機会が巡ってきたわけですので、この機会をしっかりと生かしていかねばという思いです。
選挙になればきっと耳障りの良い公約が世間を賑わすことになりますが、その実現に向けた議論のなかで、目的の明確化と効果測定による検証をどれだけ論じることができるかという視点は、官僚や政治家の誠実さを評価するうえで重要な要素になりうると思っています。
 
ちなみに少子化対策として子育て支援策を講じることのへの私見はこちら。
今回の本題ではありませんが。

★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
★書籍を購読された方同士の意見交換や交流、出前講座の開催スケジュールの共有などの目的で、Facebookグループを作っています。参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
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