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風通しの良い職場とは

ここの職場は風通しが悪いのね
言いたいことが言えずに溜まってるわ
言われたとおりの仕事はやれても
ストレスで息が詰まって病気になりそう
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
よく言う「風通しの良い職場」という言葉。
これってどういう状態であることを指すのでしょうか。
なぜ、「風通しの良い職場」が必要なのでしょうか。
それは誰が尽力して実現すべきことなのでしょうか。
 
先日、「風通しのよい職場」づくりについて、職場の複数の管理職の方々と意見交換する機会がありました。
普段から一緒に仕事をしている仲間ですが、このテーマで改めて意見交換の場を持つということはしたことがなく、今回顔を合わせて話ができたことはいいことでした。
また、それぞれ思っていること、温度差があることもわかり、私たちが組織として目指すべき「風通しの良さ」についても、向かっている方向は必ずしも一致していないようにみえました。
 
職場における「風通しの良さ」とは何か。
ある人は「フラットな関係」と言いましたが、そもそも職場というのは上司と部下という命令系統が存在し、命令する上司と命令を受ける部下の間でフラット=対等な関係というのは存在しえないもの。
意見交換の中では、下位の者が休みを取るときに緊張したり変にご機嫌を伺ったり、あるいは言い出しにくいので休暇が取りづらいなどということがないことを例示して「気兼ねなくなんでも言える関係」という意味で「風通しの良さ」をとらえていました。
 
しかし、休暇の取得という単純な意思決定ならともかく、仕事を進めるうえで下位の者が上位の者に案を挙げてボトムアップで進めていくときに「気兼ねなく何でも言えるのか」「上位の者が考えている方向性に即して案を作成するのが通例ではないか」「仮に下位の者が挙げた案に対して否定的な修正意見が上司から示されたときに、『対等に』議論することなどできないのではないか」という疑念がわいてきます。
そういった考え方の延長線上には「風通しの良い職場」とは、仕事を円滑に進めるための環境、手段であって、仕事を上手く進めるためには上意下達もやむを得ず、その結果「風通しがよくない=気兼ねなく何でも言えるとはいいがたい」状態も当然ありうる、という意見が主導的でした。
皆さんはいかがお考えでしょうか。
 
では「風通しの良い職場」づくりは仕事をうまく進めるための手段なのか。
以前、「対話」は何らかの目的を達成する手段なのか、という問いを立てたことがあります。

「対話」を、仕事を進めるための手段としてとらえる以上、必ず「それは役に立つのか」「もっと役に立つ方法があるのならこだわらなくてもいいのではないか」という功利主義の壁にぶつかります。
しかし「対話」は本来、互いの人格に優劣がないものと認めあい、その意見、主張にも優劣がないという前提で先入観を持たずに拝聴しあうという人間尊重の思想をベースにした、人として当然に行うべき倫理的なふるまいです。
何かの役に立つかどうかで「対話」の必要性や有用性を判断すべきものではなく、役に立たないから、忙しいから、実りがなさそうだからと言って、敬愛の念をもって相手を受容することを怠ることはそもそも人として許されないのではないでしょうか。
「役に立つから価値がある」という功利主義と「人として本来こうあるべき」という倫理観を同一のモノサシで図ってはいけないと私は思っています。
このような考え方に立った時、「風通しの良い職場」づくりもまた、仕事を上手く進めるための手段ではなく、そのものが目的になりうる、と考えることができるのではないでしょうか。
 
仕事をうまく進めるというのは使用者の論理です。
一方、労働法という法制度が確立したのは、近代において工業制手工業による労働力の集約と資本主義の進展が相まって、使用者と被用者の力関係があまりにもアンバランスになったことで使用者の労働力搾取が人権問題として認識され、一方で被用者の人権を守り適切な労働条件で働かせることが労働力の維持や生産性の向上につながるとの使用者側の思惑と一致したことによるものです。
この歴史的背景を踏まえると、広く労働環境の整備というものは必ずしも仕事のため、使用者のため、管理職のため、ではないのです
むしろ、労働法の歴史を考えれば、力のない被用者にせめて使用者と対等に話せる力を制度として与えようという立法者の意思を具現化するものとして、団結権や団体交渉権、団体行動権が与えられ、休暇や休憩の付与、給与の支給方法までも事細かに使用者に義務付けを行う法制度となっていることを考えれば、風通しの良い職場づくりも、仕事がうまくいくための手段という使用者側の論理と同等の重みづけで、被用者へのエンパワーメントや心理的安全性の確保について被用者の人権擁護の観点から行われるべきという考えも忘れてはいけないと思っています
 
ちなみに私見ですが、法律の話をあえて書いたのは、この問題には答えがない、あるいは当事者が合意すれば良い、というものではないということを言いたかったからです。
法は社会の規範として多くの人が合意し、それを遵守することについて社会全体の合意がなされているものです。
「風通しの良い職場を作れ」という条文はありませんが、労働者が身を置く環境とは誰がどのような観点で整備し維持していくべきか、その目的や達成すべき成果はいかなるものか、については労働法の法体系が整備されていく過程で議論され、社会的なコンセンサスを得ているものだと私は認識しています。
労働環境の整備はあくまでも使用者の義務。
そしてその目的は労働者の権利擁護。
そこには「仕事がうまくいけばよい」という論理はありません。
であるならば、労働環境の整備として行われる「風通しの良い職場」づくりもまた、仕事がうまくいくことを目的とするものではなく、労働者が自らの心理的安全性を保護され、自らの尊厳を脅かされることなく安心して過ごすことができる空間、労働条件、人間関係を提供構築することを目的として使用者側が無条件で尽力するものととらえなければならないのではないか、というのが私個人の結論です。
 
私は少なくとも管理職として、自分の職場での「風通しの良さ」づくりは仕事のためではなく、働く人たちの安全安心のため、というつもりで取り組んでいます。
それは働かせるということそのものが、労働者の自由な時間を買い取って労働力を提供してもらい、その時間、その場所でその労働者を支配してその人権を制約する非常に高圧的で一方的な権力の行使だと認識しているからです。
この権力の行使を行うにあたり、金銭の対価を支払うのは当然ですが、それ以外に肝に銘じなければいけないのが、使用者としての圧倒的な権力に従うしかない労働者の非力さ。
仕事の指示で上司が右と言えば右を向くしかない上下関係のもとで、可能な限り使用者がその強権を発動できる範囲を限定し、労働者の心理的安全性を確保するためには、風通しの良さを含めた働きやすさを無条件で提供し、労働者自らの精神的肉体的自由を金銭的対価と交換するという行為そのものに起因するストレスを可能な限り減らすことが使用者がその権力を行使するうえで課せられた義務だと思うからです。
ただ、それを私よりも上席の方々あるいは私の管理監督する職場ではない場所をつかさどる管理職の方々にも理解してもらい、実践してもらい、組織全体として拡散浸透してもらうにはまだ少し時間と手間がかかりそうだと先日の意見交換で認識したところです。
この件、皆さんはいかがお考えでしょうか。
また、何を目指して、どのように取り組んでおいででしょうか。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
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★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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