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鼠を捕るのが良い猫か

いいかこれは市長命令だ
市民から選ばれた市長の意向を
実現するのが公僕たる我々の務め
何の権限で抵抗できるというのかね
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
兵庫県で大変残念な事件が起きています。

現職の地方公務員(局長級)が知事のパワハラ疑惑(自身に対するものではなく組織全体に対して)についてマスコミ等の第三者に告発したが、そのことが原因として告発者が停職処分とされ、議会において事実解明のための委員会が設置されたがその開催を待たずに告発者本人が自死したという痛ましい事件です。
この事件については、告発後の経緯についていろいろと問題があり、そのことが告発者を自死に追いやったのではないかと推察する向きもありますが、この件についての詳細は別稿に譲り、今回は地方自治体組織における首長のパワハラという事案について通常のパワハラに加えて問題だと私が考える点を述べたいと思います。
 
自治体組織のトップである首長は、選挙で選ばれることでその地位に就く正当性を持つ、つまり有権者の投票によって信任されるという構造です。
そしてその信任にあたり有権者が期待するのは前回書きましたが、公約などの政策を実現する力。
最近ではこの力を「論破力」や「ぶれないメンタリティー」と考える人が多くなっているのは、私たちが暮らす社会の基礎となっている民主主義そのものの理解が本来の趣旨と異なってきているということなんだろうと危惧しています。

とはいえ、有権者が望むまちの姿に導いてくれるリーダーを選ぶというのが自治体の首長選挙です。
当然、選挙で信任を得た首長は自らの掲げる政策実現のため、組織を率いて様々な施策事業を企画立案させ実施させることを第一に行動します。
首長は様々な理由で組織に対して号令をかけますが、その多くは「業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導」として発せられるため、それがパワハラにあたるとは一概に言えません。
しかし有権者の信任を背景に自らの主張の正当性を信じて疑わない首長は時としてその指示、号令に必要以上の「力」を籠め、部下職員がその「力」を強く感じることがあります。
 
抜本的な改革を進めたい首長と過去の経過との整合を図りたい職員。
一足飛びに事業を始め成果を出したい首長と丁寧な手続きを志向する職員。
違法性を帯びる懸念のある事案を無理にでも進めたい首長と抵抗する職員。
少しでも後ろ向きの態度をとると「市民の声を無視するのか」「組織防衛か」「首にならないからサボタージュするのか」と詰め寄られることもあります。
加えて、首長の号令を実現するために躍起になる幹部職員が現れます。
「市民のために」「首長の意向は市民の声」を錦の御旗として首長の意向に沿うための無理難題の現場への押し付け、過剰な忖度による首長向けの情報の統制などが横行し、その跳梁跋扈に辟易している地方自治体職員の怨嗟の声は結構あちこちから聞こえてきます。
 
これはパワハラなのか適正な業務指示なのか判然としません。
しかし厄介なのは、首長を選挙で信任しその正当性にお墨付きを与えた有権者たちは、首長が組織内で部下職員をどうマネジメントしたかではなく、その結果実施された施策事業によって得られる成果でしかその手腕を評価しないため、首長も、その周辺に登用される幹部職員たちも、「市民のために」というお題目にかなう実績を上げることで評価されようとその実現に注力しすぎるあまり、組織マネジメント手法がおざなりにされてしまうきらいがあるのです。
「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」
中国共産党の指導者鄧小平の有名な言葉で、目的を達成するためなら手段は問わないという意味で発せられたものです。
首長を選ぶ有権者は、首長がパワハラ気質であってもそれが直接自分たちに危害が及ぶものでないため関心を寄せません。
「市民の求めるものとして首長が進める政策を実現することさえできれば、そのプロセスで多少のパワハラがあっても構わない」
公務員は全体の奉仕者であり、公僕という言葉の通り、市民の僕(しもべ)として市民福祉の向上のために尽力するのが公務員の使命なのだから、少々きついことを言っても、過重な負担を課してもいいという考えが根底にあり、その結果「市民のために」と銘打った首長自身のパワハラ行為が横行し、あるいは首長周辺の幹部職員がパワハラ行為を行ってもそれが黙認される組織になってしまうのです。
 
しかし、パワハラにより労働者の就業環境が害されることで、組織運営の停滞、業務の質の低下やコスト増を招くだけでなく、深刻な場合には労働者の健康被害やこれに起因する人材流出、ブラック組織としての対外評価下落など、組織の存立を揺るがす様々な問題を引き起こすため、官民問わずこのような問題が発生しないよう対策を進めている組織団体が増えています。
地方自治体組織だって例外ではありませんし、むしろ地方自治体の本来の責務を全うするには、パワハラによる組織運営の停滞はあってはならないこと。
首長パワハラの恐ろしいところは、それが「市民のために」という大号令のもと「有権者から正当性を得た力」として行使されるところです。
本来あるべき正常な上下関係であれば、一方的な上意下達ではなく双方向のコミュニケーションの中で組織全体として意思統一を図って行動していくことができますが、ひとたび首長パワハラがはじまると「選挙で選ばれた首長のいうことだから」と職員の思考が停止し、下位の者から上位の者へ、あるいは指揮系統の違う部門からの意見具申をせず、「市民のために」というお題目のもとで上位の者だけの意向で意思決定が行われ、正常な自治体運営ができなくなってしまうのです。
 
当然に情報も価値観も偏り、組織内でのチェック&バランスも不十分なまま、首長には耳触りのいい情報だけを上げ、都合の悪いこと、怒られそうなことは首長の耳から遠ざけようとします。
職員は首長からの「天の声」だけを聴こうとし、自らの耳で市民の声を聴き市民と向き合うことも、自ら得た情報と知見で自分の頭で考えることさえもやめてしまいます。
やがて優秀な職員は去り、指示待ちだけしかできない凡庸な職員だけになり、組織の中で何かを考え、生み出すことができなくなり、結果的に、本来市民から求められ信託を受けている適正な公務の執行にならず、市民の生命や財産を守り、市民が安心安全に暮らしていくための自治体運営ができなくなる、そんな未来が待っているかもしれません。
自分たちのまちの運営が適切に行われるためには、自治体組織が期待される機能を果たせる健全な運営を行わなければならず、首長のパワハラによりそれができなかった場合の行政サービスや組織運営の質の低下、コスト増などの負担はそのまちでその首長を選んだ市民が負うことになるのです。
 
首長を選ぶ市民の皆さんにはぜひ、候補者の掲げる公約や公約を実行する力だけでなく、候補者が組織運営をどのように行い、適正な事務執行を図りつつ「市民のために」どのように最大限の能力を発揮させるのかを、組織経営の手腕として見定めていただきたいと思います。
政策推進による社会課題の解決も大事ですが、組織力の維持強化はこれから人口が減少し人材が不足していくなかで持続可能な自治体運営を行っていくために必要不可欠な組織経営上の取り組みです。
首長や幹部職員が職員を大事にすることで自治体組織全体のパフォーマンス維持向上が図られているか、職員を蔑ろに扱うことで組織の機能が低下していないかを市民がしっかりと観察し、評価し、組織運営の責任者である首長にその評価結果を返す世の中になってほしい。
そういう市民の目に耐えるだけの自治体運営を行うのが首長の責任であると首長自身が意識し、そのリーダーシップのもとで職員が財産として大事にされる職場づくりが行われる、そんな世の中になってほしいと思います。
いくら「市民のために」と首長が汗をかいても、職員を大切にできない組織は、結果的に市民を大切にできません。
職員が使い捨てされるような組織が市民の幸せを考えられるはずがないし、組織から大切にされていない職員が市民を大切に扱えるはずがないのですから。

 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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