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「気づかせてくれてありがとう」人生の岐路に背中を押してくれた上司の言葉

2021年、当時27歳の私は人生2度目の転職でGAFAに入社しました。そこで同じ部署の先輩Yさん(後に直属の上司になる方)と出会います。

Yさんは私の3つ上で米大卒、英語力は言わずもがな人柄も素敵な先輩で、
・誰に対してもフレンドリー
・超ポジティブマインド
・人の良いところを見つける天才&褒め上手
・たまに痛風の自虐ネタを繰り出してくる

そんな彼の周りにはいつも笑顔が溢れ、日々の驚異的な仕事量を忘れさせてくれるようなオーラがありました。

入社から約1年後、部内で組織変更がありYさんは部長格ポジションに昇進、そしてそのレポートラインに私が加わることに。直属の上司部下になってからはYさんからどんどん仕事が振られるようになりました。

私は期待に応えるべく日々の業務に食らいついていきました。大変じゃないと言えば嘘になりますが、アドレナリンが出まくりの刺激的な日々は(不眠症になりながらも笑)毎日が本当に楽しかったです。

そんな恵まれた環境にも関わらず、私にとってGAFAは"仮の居場所"という位置付けでした。実は転職前は海外で働いていたのですが、パンデミックの影響で一時帰国することになったのが2020年秋のことです。

当時はワクチンも普及しておらず、現地では医療崩壊に治安悪化の真っ只中。私は現地の公立大学で働いていたのですが、コロナ禍に政府の汚職が原因で公金が枯渇し全国的に公務員は給料未払いの状況に陥ります。

日本人からすれば嘘みたいな話ですが、私がいたのは南米のいわゆる途上国。色んな意味でありえない珍体験が日常でもありました。とはいえパンデミックという緊急事態において、半年間も貯金を切り崩しながらの生活は経済的にも精神的にも厳しく帰国を選択しました。

当時現地に彼氏がいたこともあり、状況が改善次第また戻る予定で帰国しましたが、これは長引くだろうと予想した私はしばらく日本で働きながら再出発のタイミングを待つことに。そこから就活を始め、たまたま行き着いたのがGAFAでした。

もちろん面接では前職のことや海外での経験について聞かれましたが「再び戻るつもりだ」と言えるはずもなく、また入社後も将来の話になったときには曖昧な回答をしていました。

そんな頃、私にも昇進の話がありました。通常は最低でも入社から2年はかかるところ、1年余りでこの話がきたのはYさんのお陰だと今でも確信しています。どうせそのうち辞めるなら…と躊躇もしましたが、当時のタスクに物足りなさを感じ始めていた頃だったので思い切ってオファーを受けることに。

昇進後は関わる人やタスクの階層が一段と上がりプレッシャーも日増しに増えていきましたが、Yさんやチームメンバーにも支えられ、そこから1年の月日があっという間に過ぎていきました。

その間に南米彼氏とは遠距離ですれ違いが生じ、結果お別れする形となったので現地に戻る計画は消滅。それでも"コロナ"という外的要因で海外生活が不完全燃焼に終わったこともあり再び外に出たい気持ちは変わりませんでした。

幸いGAFAは世界各国に拠点があるので、社内での国を越えた異動もハードルは高いですが可能性はあります。ここに留まるのか、それとも違う会社の駐在や現地採用を狙うのか…色んな可能性を探り始めた時にぶつかったのが「結局私は何をしたいのか」という根本的な疑問です。

学生時代から海外で働くのが夢で、新卒では海外展開もしている日系企業、その後は南米、そしてGAFA…20代で2度の転職(2回目は本望ではなかったけど)。30代を目前にして今後築いていきたいキャリアとは?業界は?場所は?現状維持…?それは一番嫌いな言葉。

とにかく何かしなければ!と思った私は色んな方に1on1の依頼をし、年齢性別部署など関係なく沢山の人生の先輩方にお話しする機会を作っていただきました。時にはそこからさらに知り合いに繋げてもらい、GAFAのヨーロッパオフィスの方とビデオ通話したりもしました。

その結果、私が導き出したのは「GAFAを去り、大学院留学する」という決断でした。

色んな方と話す中で自分の目標が明確になり、そのためには専門的な勉強をするのが近道だと結論づけました。あとはどのタイミングで踏み出すのか。私はこの段階でYさんに全てを打ち明けました。

Yさんの最初の一言目は「おー!いいと思う!もちろん〇〇(私のあだ名)が辞めちゃうのは寂しいけど、やりたい事があるなら応援するよ!いつぐらいを考えてるの?」

私「時期はなるべく早い方がいいのかなと思ってます」

Yさん「なるほどね、せめてあのタスクができるようになってからは?」

私「今やってることと今後進む道の関連性が薄いので、舵を切るなら早い方がいいのかなと思ってます。それに年齢的なこともあるので…」

Yさん「なるほどね、ちょっと一回考えさせて、〇〇にとって何がベストか考えたい。」

数日後のYさん

「この前のこと考えてみたんだけど、とりあえず上司として今後〇〇がうちに残る体でのキャリアプラン=もしこのまま行けばどんなマイルストーンが待っているのかを知ってほしい。

そう言って、1年後・2年後・5年後に私がどんなポジションでどんな仕事をしているのか、仮定でありながらも洗いざらい話をしてくれました。

その何年後かに俺がまだ〇〇のレポートラインである保証はないけど、誰が後任でもいいようにこのプランはもう上にも話してある。もちろん〇〇の頑張り次第でもあるけど、ここから大きくは外れないと思う

正直泣きそうになりました。歴代の上司でこんなに部下思いで用意周到な人は見たことがない。

続けてYさんは「お金やポジションももちろん大事だけど、このタスクまでできるようになったら考え方とか別のフィールドでも活かせると思うから…」と自らの経験を元にあと数年だけ私を引き留めようとしてくれていました。

それでも渋っている私を見てYさんは「よし!統括部長のところに行こう」と言って私を会議室から連れ出しました。

私からすると雲の上の人…「急に押しかけても大丈夫なんですか?」と聞くと

Yさん「大丈夫!全部知ってるから!笑

前回の1on1のあと悩んだYさんは統括部長に相談し、マイルストーンを開示しても気が変わらなかった時には私を連れて来るところまで事前に調整済みだったようです。

そして穏やかな雰囲気の中、上司と部下という関係を取り払って色んな考え方や人生の話をしてくれました。

2人は私の進みたい道に反対ではなくむしろポジティブに捉えて応援してくれましたが、問題はそれが今なのか。何が目標への近道かを自分ごとのように考えてくれました。

3人で2時間ぶっ続けで話し、いい時間になったのでこの日は解散。私はありったけの感謝と「もう一度考えてみます」と伝え部屋を去りました。今思い返しても本当に貴重な時間だったなと思います。

それから改めて考えてみて、何度も心が揺らぎました。今なのか、今じゃないのか…

そして数日後、オフィスの廊下でYさんに突然呼び止められました。2人で空いている会議室に入ると、

Yさん「決めた!〇〇は今すぐ行ったほうがいい!あと1年とか2年とか言ってたけど、それは忘れてすぐ行きな!今は〇〇の考えを尊重して全力で背中を押したいと思ってる

私「でもこの前まで…」

続けてYさんが、

「気づかせてくれてありがとう」

私「???」

Yさん「ここ数年忘れてたすごく大切なものを、〇〇のキャリアを考える中で自分にも照らし合わせてみて思い出すことができた・・・だから俺もこのチームを去る!異動することにした!!

私「えーーーー!?!?!」

Yさん「俺も入社したての頃は、一つの場所に縛られず色んな所で経験とかスキルつけたいと思ってた、海外も含めて。でも時間が経つにつれて居心地がよくなって、入社以来ずっと同じ部署にいる。このままいけば次のポジションが大体いつどんなのかも想像つくし、場面場面で大変なことはあるだろうけど全部できる自信がある。でもそれをこの先やっていくのは時間が勿体ないし、もっと挑戦すべきだと思った。だから異動する、オフレコだけど次の部署はもう決まってて…」

驚いたけどYさんらしい決断と行動力。部下としてこんなに尊敬できる上司の元で2年半仕事ができて心から良かったと思う瞬間でした。

加えてYさんは「〇〇も残ったら残ったで学べることはあるけど、絶対にここじゃなきゃいけない理由はない。挑戦したいパッションがある今、このタイミングで行ったら多分どう転んでも後悔しないと思う。それに最悪ダメだったら戻ってくればいいよ、うち出戻りも多いしね」

これだけ私のキャリアを考え、結果背中を押す形で心置きなくGAFAを卒業させてくれたことを今でも感謝しています。そして今後また大きな決断を迫られる時が来れば、この日のこの言葉をまた必ず思い出すと思います。

私の #心に残る上司の言葉



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