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【22/100】 継続できないわたしが発揮するのは「再開力」

「再開力バンザイ🙌」
と唱えながら、今日は投稿画面に向かいました。

8/1からはじめた連続投稿チャレンジも22回目です。
あとでリライトする予定で尻切れトンボになったままの記事も含め、なんとかここまできました!

前回の投稿が24日だったので、中4日で今日の投稿。

8月前半にも3日ほど休み、どうにかこうにか投稿しつつ、そしてまた4日休みというプロセスを踏みながら、今日また投稿できたのは、「再開力」の賜物だと思っています。



過去のわたしは、この再開力を認識しておらず、3日坊主になることばかりでした。「継続するぞ!」と意気込んではじめたものの、ふとした拍子にできない日が生まれてしまうと、次の日も、そのまた次の日も「1回休んだからまぁいっか」となってしまい、しまいには「継続するぞ」と決めたことすら帳消しにせんばかりに、じぶんの中で「どうでもいいモノ」に分類してしまっていました。

(そもそも行動の目的を明確にしていないといったことは横に置いて書いています)

この1回休むと、それ以降やる気にならないの事象は、「完璧主義あるある」だと思っています。

完璧主義のわたしにとって、「継続する」と決めたなら、1日も休むことなくがんばり続けることが及第点でした。つまり1日休んだら落第。たとえ、1日休んで再開したところで、(当たり前ですが)休んだ日の空白は後から埋められず、それが気になってたまらなくなるのです。

なんだかその空白に「継続できてないよ!」と常に言われているようにも思えてしまうので、空白ができてしまった時点で「継続失敗」とじぶんで勝手に結果を決めてしまっていたのだと思います。



「継続できないわたし」のままでいることにほとほと嫌気がさしていたあるとき、「継続するには再開力がだいじ」という投稿がTwitter(現X)のタイムラインに流れてきました。

それを読んだときハッとしたのです。
少し休んでもまた再開すれば、
線としてつながって「継続」になるのか、と。

同時に、「継続」という言葉にわたしが極端なプレッシャーを感じていることにも気づきました。投稿や筋トレを休んだところで、人生が終わるわけでもなく、なにかトラブルが起きるわけでもないのに、継続できない(すぐに休んでしまう)自分にずいぶんとダメ出ししていたようです。

たとえばマラソンにしても、出場するならそれなりのタイムじゃなきゃいけないとか、途中で歩かずに走らなきゃいけないとか、わたしなりの(変な)プライドがあったようにも思います。

途中で歩いても、完走できたらヨシとしよう

そう決めてランニング大会に出るようになってからは、「継続」に対して少しずつ完璧主義がゆるんていったようにも思います。



休み休み走っていると、時間はかかるかもしれません。だけどリタイアしない限りゴールにたどり着くことはできます。

人生ではそれぞれの場面によって優先順位も違うし、自分がコントロールできる時間にも差があります。

休み休み走る(=そこにかけられる時間が少ない)のであれば、自分が欲しい成果が手に入るまでの時間が長くなるということさえ自覚していれば、リタイアせずにいられるように思っています。



休んでも再開できる自分を信じることができれば、むしろ休まずに淡々と進めるのかもしれません。


さいごまで読んでいただきありがとうございます。
note連続投稿チャレンジ中です。
中4日で再開(再会)できてよかったです。
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