もうひとつのその4 これじゃない
もう一つの陀羅尼を構成する各単語の意訳は、次のようなものだった。
勿論これは、仏教経典解説の書物による。
①無我 ②徐我 ③方便 ④仁和
⑤甚だ柔軟 ⑥甚だ柔弱
⑦苟見 ⑧諸仏廻 ⑨諸総持廻
⑩衆に行じて説く ⑪皆廻転す ⑫尽く集会する ⑬衆趣を除く
⑭無数 ⑮諸句を計す ⑯三世の数等し
⑰有為を越える ⑱諸法を学す ⑲衆生の音を暁る
⑳師子娯楽
そして、10年以上前に繋げていた最初の訳が以下である。
無我の心で 除我を行う
方便をもって 仁による和を図る
その心は甚だ柔軟で その行いは甚だ柔弱である
ちょっとその片端を観れば
諸々の仏に通じ
諸々の陀羅尼をめぐる
ましてや衆生の行に入って説けば
全てをめぐり 尽く集まり
様々な悪い境界を除くのである
数えきれないほどあるけれど
学ぶべきことを全て足せば
過去・現在・未来の三世に於いて踏むべき道は同じである
有為を超え
あらゆる事柄を学び
人の求める所を知る
これは無上の喜びである
今見れば多少ごまかしてる感は否めないが、当時はこれが限界だった。
この訳で気に入らなかったのは仏教に寄っているところだと以前書いたが、
今振り返ってみればそれは、
‘’悟りきってんじゃねーよ。‘’
という印象を持つところだった。
焙りだしたいのはそこじゃない。今ならはっきりわかる。悟った‘’後‘’の話じゃなく、どうやって悟ったのか、この心をどう扱ったのか、どうすれば真っ暗闇の中から抜け出し、同じ世界にいる人たちと喜びの中で共に生きられるのかを知りたかったんだよ。
求めて、願って、ここまで生きてきた。
‘’願えば叶う‘’ってよく聞いたけれど、どこにそれがあるんだ。
今も嵐の真っただ中で、何処まで行けば安心の中にくつろげるんだよ!
言葉にはなっていなかったけれど、そう叫んでたんだ__。
参考文献:
法華経大講座 第九巻
著者・小林一郎
発行者・株式会社 日新出版