じぶん研究所 2.編み物は瞑想という話
第1話を書いてから、間が空いてしまいましたね。
本当はすぐにあげるつもりだったのですが、なんか書いているうちに、まとまらなくなってしまって。
何度も何度も書き直して、気が付いたら自分研究というより、職業生活の話になってしまったのでそっちにアップしました(汗 こちら)
さて、今回は、趣味の話でも。
私は、いまかぎ針編みにはまっています。
きっかけは、何年か前、断捨離していたときに、使っていない毛糸がたくさん出てきたことでした。
その時持っていたのは、半分くらいはアクリル毛糸、もう半分はウールとかそういうのでしたが、ぶっちゃけウエアを作るには足りないし、ファンシーヤーンとかこれどうしたらいいのみたいなのもありましたし、すごい昔に何かを編んだあまりみたいなのとかも出てきましたし。
処理に困って、ほんとうに使えなさそうなものはもったいないけど処分し、どうにか使えそうなものだけ手元に残して、使い切ったらおしまい、もう買い足さない、くらいの気持ちでかぎ針編みを始めました。
編み物自体は中学生くらいの時に本を読んで覚えて、かぎ、棒ともに、基礎は一通り覚えていたように記憶しています。
そんなわけで、アクリル糸は、アクリルたわしに。
ウール系の糸は、ストール、スヌードなどの巻き物を作って終わりにしようと思っていました。
個人的には、昔は、ほぼ棒針のほうばかりで、かぎ針は、好きじゃなかったんですよ。
かぎ針編みって、ババ臭いか子供っぽいかの両極端になりがちなので。
当時は本とか見ても、編みたいデザインにあまり出会えなかったですし。
でもこの手持ち毛糸の処分のために始めたかぎ針に、思いのほかはまってしまいました。
そのようないきさつでかぎ針派に移行して、はや数年たちました。
買い足さないと決めた毛糸もいつの間にかどんどん増える増える(汗
何ならファンシーヤーンとかも処分しなきゃよかったと後悔したり。
今はかぎ針でもおしゃれなデザインのものいっぱいあるので、結構楽しくてなんだかんだで続いています。
さて、私は飽きっぽいので、一つの作品を仕上げてから次に取り掛かる、ができないのです。
常に何個も編みかけを保持しています。
去年あたりは、ストール、帽子など上半身につけるものを多く作っていましたが、今年はひざかけ、靴下といった、下半身につけるものを作っていることが多いです。
たぶんテレワークの影響で、自宅で仕事していると、足元が冷えるから、合ったかグッズが欲しくなっているのだと思います。
いまも、去年途中までやって放置になっているブランケットをちまちまやりながら、靴下編みをしているような感じです。
あと合間に、本当にすぐできる小物、カップスリーブとか作っています。
作品は大体インスタにアップしていますので、もしよかったらこちらをご覧ください。
と、インスタへ誘導しておいてからの、ここからが本題(前置き長っ)
ひざ掛けやブランケットのようなものを作るとき、延々と同じ編み方を続けているわけですが、そうやって延々と同じ動作をしていると、ちょっとした瞑想状態に入るんですよね。
別にそれは編み物に限らず、ほかのこと、自分の場合はこうやってキーボードを打っているときとか、庭の草を延々と刈っているときとか、そういう作業って、最初のやり始めのころはそうでもないんですけど、ある程度のところから、急に、手が勝手に動くというか、リズムに乗ってきて、もう何も考えなくても延々とやってられるみたいな状態になるんですけれども、その状態に入ったときって単純に「気持ちがいい」んですよね。
脳科学的にはフロー状態?っていうんでしょうか。
多分そんな感じなんだと思うのです。
コロナ以前は、普通に毎日会社に通勤していたので、仕事と家事と犬の世話、でなんだか1日が終わっていて、あまりまとまった製作の時間が取れなくて(時間の使い方が下手だからともいう)、やっとなんとかやり始めても、フロー状態まで入る前にやめて、もう寝なきゃ、みたいになるので、作品として完成させて世に送り出すところまで、なかなか行けなかったんですけど。
今年はコロナで在宅ワークが増え、単純に通勤時間分が浮いたので、その分製作に時間をかけられるので、フロー状態まで持っていけることも増えました。そのためか、作品完成までのペースが速くなっているようにも感じます。
この「フロー状態」、なんか今はやりの「瞑想」みたいなもんかな、と思って、ちょっと調べてみたのですが、「ムーブメント瞑想」がなんだか近いような気もしています。
私は、なんだか起きている間はずっと、いろんなことをぐるぐるぐるぐると考えていて、ずっと脳が回転している感じがあったりするのですが、編み物でフロー状態に入れたときは、なんか余計なことを考えないで、手の動きだけに集中しているというか、でも意識して手を動かしている感じではなくて、なんか手は勝手に動いているのだけど、その手の動きをただぼんやり見つめていて、「あー今手が動いているな」みたいな感じなのです。
でもそういうときでも「あ、今一目飛ばしたかも」みたいなのは時々気づくんですけどね。(まぁ大体は次の段を編み始めてから「あ、前の段ここ飛んでる」って気づいてほどくんですけどね・・・)
そういう感覚が、ムーブメント瞑想の「自分の動きに注意を向ける」のとなんか近いものがあるような気がするのですよね。
でも、ムーブメント瞑想のように「自分の動きに注意を向ける」から入ると、どういうわけかフロー状態にいきにくいのですよね、私の場合。
「手が動いている」のをずっと見ていて「あー今手が動いているな」って考えても、そういうときって実はフローに入っていない感じなのです。
逆なんですよね、手の動きとか特に意識もしないで、ただただとにかく、ひたすら、「手を動かしている」うちに、いつのまにか、ぐるぐる思考が止まって、その手の動きをただぼんやり見つめて「あー今手が動いているな」というのが頭に浮かんでくる。そんな感じです。
ただこれ、やりすぎるとかなり疲れます。フロー状態に長く入っていると、その時はいいのですが、そこから現実に戻ると、とにかく疲れています。
頭ではなく体が疲れているのです。ひたすら手を動かしているから、まぁそれはそうですよね。
私はこのあたりの、ほどほど、がわからなくて、その気持ちの良いフロー状態に長時間浸ってしまって気づいたら3時間とか経っている、とか割とよくある話なので、瞑想の時のように、タイマーとかかけたらいいかな、と思う今日この頃です。
発達障害者が少しでも生きやすくなりそうな情報(本、ネットの有料記事等)の購入費用に充てますのでよろしくお願いします★